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2008年05月30日(金)更新

【取材日記】ソウル紀行(6)

このソウルレポートも今回が最後です。
少々長くなりますが、駆け足で記していきます。

●韓国一の書店

ソウルで一番売り上げる書店さんが教保文庫(キョボムンコ)です。
ワンフロアですが、2700坪を超えますので、
なかなかのスケールです。

■教保文庫 紹介記事 >>>

ソウル一の繁華街・明洞(ミョンドン)からも歩ける、
光化門(クァンファムン)というエリアにあります。
われわれも何度か足を運びました。

しょてん

このベストセラーのコーナーを境界に、輸入書コーナーがあります。
およそ4分の1は、日本の出版社が占めており、
韓国の人々の日本への関心の高さがうかがえます。
在ソウル日本人のお客が多いからでもあるでしょう。

弊社の本も並べていただいています。

しょてんに

●多種多彩な街、ソウル

ソウルはさまざまな顔をもつ都市です。
たとえば、いまの李大統領がソウル市長時代に推し進め、
2002年にスタートして2年ほどで完成した
国際的にも評価の高い、清渓川(チョンゲチョン)再生プロジェクト。

下水と化し、メタンガス爆発などの事故も起きていたという清渓川に
漢江から水を引いて浄化。約6キロの流域には遊歩道も設けられ、
市民の憩いの場、観光名所となりました。
ここがその源流(地表に水が出る意味で)地点です。

かわ

こうした近代都市的な面と、
南大門市場(下の写真)や東大門市場に見る
雑駁な賑わいとのギャップ。

いちば

一般の住宅は、煉瓦造りの家が多く見られました。

いえなみ

米軍関係者が多く居住し、
各国の大使館なども多い梨泰院(イテウォン)も面白い街でした。
東京でいえば、六本木から広尾界隈というところでしょうか。

革製品のオーダーメイドを手がけるお店が沢山あって、
10日程度の滞在なら、十分に仕上がるスピードと質の双方で
評価が高いそうです。

いておん

綺麗な街ですが、こんな面白い屋台もあったりします。
怪しいお面まで売っていて、さながら世界一小さな「ドンキホーテ」。

どんき

ソウルタワーにも行ってきました。
高いところは実は苦手なのですが、同行K支店長に逆らえず…。

たわー

ロープウェーから。
ろーぷうぇい

残念ながら焼け落ちてしまった南大門は
こんな囲いで覆われていました。

なんでもん

●徹底してクルマ優先

さて、日本と韓国の違い、というよりは
東京とソウルの比較でしかないかもしれませんが、
以下、ソウルで感じた特徴的な面を記します。

正直、街自体、歩行者の便宜がはかられているとはいえません。
歩道橋などはまず見当たらず、横断歩道も少ない。
そのぶん、地下道があって反対側に渡ることはできますが、
車いすの人などは大変だと思いました。
車いすに乗った人は、5日間でたった一人しか見ませんでした。

運転も総じて荒っぽい、というか、歩行者に譲らず、
歩行者のほうがクルマに対して譲る感じです。
私たちの泊まった江南地区は、新開地ということもあって、
とくにその傾向が顕著でした。

しかも道路が渋滞し出すと、バイクが歩道を平気で走る。
そのためか、歩道に敷かれた煉瓦ブロックはぼこぼこになっています。
私はよく躓きました。

自転車も滅多に見かけません。
ロードレーサーに乗った人はたまにみますが、
いわゆるママチャリ的な自転車で流して乗っているような人は皆無。
ちなみにいうと、犬を連れて散歩している人も、
数えるほどしか見ませんでした。

自転車をみかけない代わりに、
地下鉄では、東京よりはるかに「オモニ」の数が多い。
純粋に商売などのために出かけているという感じでした。

●街でみかけた不思議なもの

日本ではまず見ないオブジェもたまに見かけます。

これは一体……。

おぶじぇ

不思議だったのは、地下鉄の構内の自販機。

お菓子やティッシュはわかりますが、
なぜか避妊具まで売っているのです。
どこの駅にもまったく同じ品揃えで置いてありました。

じはんき

かと思えば、これも絶句。
かの「R25」とは無関係、らしいですが……。
どなたか教えてください。

えむにじゅうご

さて、韓国の人々の色彩感覚は、日本人のそれより、だいぶ派手です。
あるいは日本人が地味なだけかもしれませんが……。

ビジネスマンのネクタイの色は老若問わず、
ショッキングピンクやパステルブルー、さもなければ原色に近い青や黄色。
だから日本のビジネスマンは、すぐ見分けがつきます。

日本であれば、風俗街でしか見かけない色のネオンが輝いていても
ちゃんとしたレストランだけが入っているビルだったりする。
これもちょっとした驚きでした。

●大らかで温かい韓国の人々

韓国人は、総じて親切で温かい人たちだと思います。
道に迷って訊ねれば、みなさん一所懸命に教えてくれる。
反日感情のようなものも、まったく感じられませんでした。

どう見ても南方系の私より、大陸・半島系のルックスをしているK支店長は、
ぱりっとした印象もあって、逆に韓国の人からよく道を聞かれていました。
自分を指さし、「イルボン(日本人)、イルボン」と言っても、全然気にせず、
話しかけてくるのです。

しかも、いったん打ち解け出すと、親密になる度合いが早い感じがします。
どこか緊張感の抜けない日本人と違って、リラックスしているような……。
バスで乗り合わせた御老人もそうでした。

つまりは大らかなのでしょう。いわゆる「ケンチャナヨ精神」で、
だから道路が多少でこぼこしていても気にしない。

カニサハムニダとアニョンハセヨ以外、よく使った韓国語といえば、
「メッチュ、チュセヨ」(ビールください)
「ソジュ、チュセヨ」(焼酎ください)
「ヨンスジョン、チュセヨ」(領収証ください)
くらい。
もう少し、言葉を覚えて行けば、
もっと多くの人と親密になれたのにと
いまさらながら後悔しています。

このレポートの最初に韓国の印象を
「ラフでディープで繊細」と書きました。
技術で先端を行き、活気もありながら、
一方でアジア的な牧歌感が漂う国。

その幅の広さ、深さに感じた魅力は、帰国して10日を経たいま、
私のなかで、より増している気がします。

(編集部・酒井俊宏)



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2008年05月30日(金)更新

【ブログピックアップ】トレンド・プロ 岡崎充さん

「ブログピックアップ」では、
経営者のみなさんの書かれたブログの中から、
お薦めのブログをご紹介しています。

今回のお薦めブログはトレンド・プロ岡崎充さんです。
 
 *      *      *


今日から公開できる範囲で、岡崎塾3期生の就活終了宣言を
発表したいと思います。

1、2期生の動画もありますが、今年から各塾生の生の声を
web2.0的にYou Tubeで動画配信します。

トップバッターは、岡崎塾3期生リーダーK君です。


■続きはこちら >>>
■トレンド・プロ ホームページ >>>

 *      *      *
 

「岡崎塾」で学ぶ学生さんたちには、
オフ会や「一問百答」などを通じて、経営者会報ブログに
リアルとウェブの双方でご参加いただいています。
Kさんをはじめ、みなさん、前向きで優秀な学生さんです。
 
自分の学生時代を思い起こすと、
とてもここまでの真剣さで、就活をしていたか、
はなはだ心許ないものがあります。

社会に出たときの初心に返る意味でも、
これからの塾生のみなさんの「就活終了宣言」を
拝見したいと思っております。

(編集部・酒井俊宏)



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2008年05月30日(金)更新

【取材日記】ソウル紀行(5)

いうまでもなく、
日本と韓国はある期間、“一つの国”でした。

どういう意図があってのことなのか(だいたい想像はつきますが)、
中学や高校の日本史の授業では、そのあたりは
妙に駆け足で進み、あるいはトバされ、
学校できっちり教わった記憶というのが
私にはありません。ほとんどの人が同じ思いでしょう。

戦前の日本を評価しようが批判しようが、
なにが起きたかを知らなくては、
どのようなスタンスであれ、取りようがありません。

私の場合、歴史に興味があって、
高校生くらいからは近現代史の本に目を通してきました。
日本が統治していた時代の朝鮮半島は、おそらくこうだったろう、
という自分なりの考えは固まっています。

そんな私ですので、せっかく韓国へ行けるのだから、
日本統治の痕跡や、巷間いわれるほど、韓国の人たちに「反日感情」があるものなのか、
それやこれやを少しでも体感したいという思いを、
無意識に抱きつつ、歩いていた面もあります。

これは、日本統治時代、1925年竣工のソウルの旧駅舎。
造形的にも素晴らしいものでした。
東京駅の赤煉瓦駅舎と似ています。

そうるえき

誰の手による設計かは、東京駅の設計者・辰野金吾とする説と
同時代に辰野を支えて活躍した塚本靖とする説があるそうです。

●戦前派の御老人と出会う

パジュブックシティへ視察に行った帰途のバスの中で、
個人的には、この旅のハイライトといえる出会いがありました。
戦前の日本の教育を受けた御老人と出会ったのです。

みなみさん

バスに乗り込んだ際、
運賃箱にお金を入れたときに出たお釣りが自分のものと思わず、
放ったらかしに通り過ぎた私に、身振り手振りで
「あなたのものだよ」と示してくださったのが、
前のほうに座ってらした、この御老人でした。

思わず頭を下げると、御老人は笑みをたたえながら、
ご自分の隣の空席を指しつつ、
「シッダウン」とおっしゃいます。
素直に従うと、御老人の口から、ゆっくりとした口調の綺麗な日本語が。

「日本からいらしたのですか?」
「お仕事はなにをなさっていますか?」

そんな質問に答えていくうちに、だんだん打ち解けてきます。

「日本では老人を大切にしていますか、敬っていますか?」

そう思い、行動している人は沢山いると思いますが、国や政治家からはあまりそういう姿勢が伝わってきません……と答えると、

「そうですか。韓国も同じですね」

御老人は、日系企業の石油関係のプラント建設の現場で長く働いておられたそうで、
中東などへも行かれたといいます。リタイア後は投資などで成功されたとのこと。
あとでお年をうかがうと、79歳。
15歳まで日本の教育を受けたことになります。

真面目に働かれたことを証明するような、
節くれだった手をしておられました。

しばし世間話のようなかたちで話をするうち、
よければ、名刺をください、と言われ、お渡ししました。

「酒井さん、ですね。私は南(ナム)と言います。日本式に
ミナミと呼んでください」

かなり打ち解けた気がした頃合いで、私は次のような質問をしてみました。

「日本人や日本のことをどう思っておられますか? お嫌いですか」

御老人はすぐ笑って首を横に振りつつ、こう答えました。

「日本人だから嫌いなんてことはない。韓国人だって日本人
だっていい奴がいれば悪い奴もいる。それだけのことだよ」

そのあと、御老人はぽつりとこうおっしゃいました。

「……酒井さん、日本にサムライはいまもいますか?」

ハートやマインドという意味でなら、そういう人はいます……と答えてから、
「戦前はそういう日本人はたくさんいたのですか、学校の先生とか」と訊ねると、
遠くを見る眼差しで何度も頷いておられました。

そのうちに、「名刺をもう一枚ください」と言われ、お渡しすると、
御老人は、そこにご自宅の電話番号を書いてくださいました。

「私の家のほうは魚が美味しいんです。美味しいどぶろく、
マッコリね。美味しいどぶろくがあります。今度また韓国
へいらっしゃることがあったら、必ず連絡をください。歓
迎しますよ」

なんだか、鼻の奥がつんとしてきて、
泣きそうな気分になりました。

御老人はこんなこともおっしゃっていました。

「日本の男は真面目なのはいいですが、細かすぎる。もっ
と大らかに生きたほうが幸せなのではないですか。お酒も
ね、こんな小さな器で(と、お猪口の形をつくって)飲む
でしょう。私ら韓国人は、どぶろくをこういうどんぶりで
ぐいっと飲む。最高ですよ。何杯も飲んで、そのうち、首
ががくっとするまで飲む」

そう言いながら、なんとも楽しそうな様子で、
がくっと首を前に傾ける。

最初に掲載した写真は、このやりとりのあたりでご本人に許可を得て、
撮らせていただいたものです。

最後は終点でともにバスを降り、握手をして別れました。

一緒だったのは、30分ほどの間でしたが、
2、3時間ほどにも感じられ、忘れられない思い出になりました。
あるいは韓国滞在中、最も濃密で、貴重な時間だったかもしれません。

いつかまた、韓国を訪れる機会があったら、
必ず御老人のお宅を訪ねてみるつもりです。

(編集部・酒井俊宏)



けいかいごがつ
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