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2008年06月19日(木)更新

【取材日記】福永雅文氏「小が大に勝つ戦略」 ヤマグチ・山口勉さん

先日、経営者会報に好評連載中の
経営コンサルタント、福永雅文氏による『小が大に勝つ戦略』の取材に
お供させていただきました。

お相手はでんかのヤマグチ(株式会社ヤマグチ)社長の山口勉さんです。

やまぐちさん


たいだんやまぐち


「でんかのヤマグチ」は、東京・町田市に店舗を構える、
いわゆる「町の電器屋さん」ですが、
一時は大型チェーンが何店舗もひしめいたこのエリアで一歩も引かず、
独自の地位を築き上げておられます。

やまぐちおみせ

■でんかのヤマグチ ホームページ >>>

ほんの一部、内容をご紹介しますが、
詳しくは7月1日発行予定の、経営者会報7月号を
ご参照いただければと思います。
福永さんの、鋭い分析をされながらも温かい筆致の文章で
同社の取り組みを知ることができることでしょう。

同社の特徴は、いわゆる『ご用聞き』営業。
電球1個からでもお届けする姿勢で、エリア内でのファンを増やしています。

お客さんをお招きしてイベントを開き、カツオや鰻、ジャガイモなど、旬の食材を
その時期に合わせて、格安で販売、あるいは進呈するといった、
普通の電器屋さんが考えつかない取り組みをしてこられました。

そうした努力の甲斐あって、7、8年前の段階で25%だった粗利率も、
いまでは、30%をゆうに超えています。
山口さんは次のようにおっしゃいます。

「大規模店の進出で、売上は絶対に落ちてしまう。
3割は落ちるとみていました。それでも生き残る
には利益率を上げること。いまのお客様をより大
切にしていくしかないと思っていました」

まさに「小が大に勝つ」ためのヒントを
身をもって示しておられます。

でんかのヤマグチでは、こんな看板も掲げておられます。
同社の姿勢を象徴的に示していると思います。

かんばん

地域に密着するという理念を、
小さなことから実践されて、近隣の人たちに
喜ばれています。

山口さん、お忙しいなか、ありがとうございました!

さて、ここで、改めて、福永さんのご紹介を
させていただきます。

福永さんはランチェスター戦略研究の第一人者といってよいでしょう。
弊社から本も出されています。ちょっと宣伝してしまいます。

らんほん

らんほんに


■戦国マーケティング ホームページ >>>

福永さんの取材にお供させていただくと
本当に勉強になります。

ポイントの押さえ方や目のつけどころが凄いのは
いうまでもないとしても、
お話を引き出すのがお見事なのです。

私などが「御社の事業の特徴はなんですか」と
大上段に聞いてしまいがちなところを、
「それでどうされました?」「すぐ成果は出たのですか?」
と、先方のお話を遮ることなく、流れに沿って
実にスムーズに引き出していかれます。

10年以上、取材をしていて、そこそこやれるようになってきたと
心のどこかで思っていたりしましたが、とんでもない。
まだまだ勉強です。

福永さん、いつもありがとうございます。
これからもご指導を賜りますよう、お願い申しあげます!


(編集部・酒井俊宏)



けいかいろくがつ
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2008年06月13日(金)更新

【取材日記】メトラン トラン・ゴック・フックさん

先日、経営者会報「異能経営者がゆく!」の取材で、
凄い人にお会いしてきました。

ベトナムから来日し、いまでは帰化して日本人となった、
株式会社メトラン社長・新田一福(トラン・ゴック・フック)さんです。

ふっくさん

■メトラン ホームページ >>>

1947年にベトナム・ユエ(フエ)市に生まれたフックさんは、
68年、私費留学生として来日。

東海大学工学部で学ばれ、ご卒業と同時に
医療機器メーカーに研修生として入社されます。
そして、84年に独立し、メトランを設立。

その間、ご存じの通りベトナム戦争があって、
ご両親の住んでおられたサイゴン(現ホーチミン)が陥落。
音信不通になってしまいます。(のちに感動の再会を果たされます)

運命に翻弄されながらも、フックさんは夢を追いかけ、
世界初の「高頻度振動換気(HFO)人工呼吸器」を開発。

かつての人工呼吸器は、圧力をかけて肺胞を膨らませ、
呼吸させるものが主流で、
呼吸器系統が形成されきっていない未熟児に使用すると、
後遺症が残るケースも多かったそうです。
同社はリニアモーターで1分間あたり900回という細かい振動を作り出し、
肺胞に負担をかけず、自然な呼吸を促すことに成功します。

このジャンルにおいては、日本一のシェアを誇り、
多くの未熟児の命を救っておられるのです。

当時、フックさんと同様の、
ベトナムの富裕層の子弟は、
留学先に欧米を選ぶ人が多かったそうですが、
少年の頃から日本に憧れ、
合気道など武道をたしなんでいたフックさんは
日本行きを選びます。

フックさんはどうしてそれほどまでに
日本に憧れたのでしょう。

詳しくは、来月1日発行予定の経営者会報7月号を
お手に取っていただければと思いますが、
フックさんは次のようにおっしゃいました。

お聞きしている間、
私は不覚にも、目頭が熱くなってしまいました。

「私は東洋は一つの共通した文化圏だと思います。
ある時代まで、日本もベトナムも中国からたくさ
ん学んだけど、東洋的な価値観のよい面、たとえ
ば義理とか人情などの道徳観を国づくりのレベル
で活かして、近代国家を実現した国は日本だけな
んです。日本人は東洋の“宝物”のようなものを、
東洋の人たちのために大事に守り、形を整えて育
ててくれた。これは凄いことです」


日本と日本人を、ここまで評価してもらえるのは、
過去の立派な、私たちの先達・父祖のおかげに他なりません。

来日されてからも、
フックさんの親日度は変わりませんでした。

「実際に来てみたら、みなさん本当に温かかった。
研究者として成功できたのは、面倒をみてくださ
ったたくさんの人たちのおかげ。日本と日本人が
好きだから、『ああ、日本ではこうなんだ』と、
違い自体が面白くて、毎日が楽しくてしかたがな
かった」


フックさんは「お世話になった」という日本で
事業を通じて社会貢献をしてこられました。
将来的には、ベトナムに生産拠点をもち、
世界中に同社製品をもたらし、同時に、
母国ベトナムでの雇用創出に寄与するという考えをおもちです。

そんなフックさんのお話を
1時間あまりお聞きしていると、
すでに日本に帰化されているフックさんには大変失礼ながら、
普通の日本人よりもはるかに日本人らしいかただと思いました。

同時に、かつての日本には、きっとフックさんのような
素晴らしい心映えの人がたくさんいたのではないか、と思いました。

私ごときになにができるのかわかりませんが、
フックさんの姿勢を見習って、まずは、足もとの小さなことから、
フックさんが憧れを抱いた日本人の一人として
恥ずかしくないふるまいをしていこう、と肝に銘じた次第です。


(編集部・酒井俊宏)



けいかいろく
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2008年06月07日(土)更新

【取材日記】レーザーテック 浜野太郎さん

去る6月3日、
会員さんのレーザーテック社長・浜野太郎さんに
取材をさせていただきました。

はまのさんあっぷ

■レーザーテック ホームページ >>>

浜野さんには、少し前に「働きがいのある会社」という特集でも
ご登場いただいて、これが私にとって2度目の取材です。

取材内容は、経営者会報7月号掲載予定の「社長ブロガー登場!」です。

この連載では、ブログを始められたきっかけや事業への効用、
さらにブログを始めてからのご本人の内面の変化などをお聞きしています。
アーカイブは拙ブログにまとめてあります。

浜野さんのブログ活用法で特徴的なのは、
書かれたブログを本にまとめて、社員さんや
見学者・来訪者に配布しておられることです。

ぶろぐぼん
(撮影・浜野太郎氏)

会社のことを知ってもらううえで、
非常に効果があるそうです。

ただ、今回は、前回、見学できなかった
同社の「朝礼」をぜひとも見学させていただきたく、
その旨、浜野さんにお願いすると、
朝礼見学会の日程でもないのに、快諾してくださいました。
浜野さん、ありがとうございました。
(ちなみに見学会は毎月第三水曜日だそうです)

レーザーテックさんの朝礼は、噂には聞いていましたし、
浜野さんご自身がブログでご紹介されている記事も
拝見させていただいていましたが、
実際に目の当たりにすると、
想像していた以上に、若い社員さんの教育、
情報の共有、一体感を醸成していくうえで
効果絶大だと感じた次第です。

写真中心にご紹介します。
司会は、若い社員さんが持ち回りで担当します。
8時20分開始。まずは大きな声で挨拶。
「業務遂行にあたって」という、業務上の心がけをまとめたものから
1項目を抜粋して司会者が読み上げます。

ちょうれいいち

そのあと、連絡事項の報告、
さらに「職場の教養」という、
倫理法人会さんが出版されている月刊の冊子から、
その日のコラム(毎月朝礼などで読めるよう、毎日1本分が掲載されています)を
みなさんで輪読します。

次に、司会者による1分間のスピーチ。テーマは限定せず、
日頃、考えていることや、気づいたことを述べます。

そして工程の打ち合わせ。

ちょうれいに

当然、事務系の人も出席されているわけですが、
こうしたことがミスを防ぐことになるでしょうし、
なにより、現場を知っているのと知らないのとでは、
仕事への理解も当事者意識も違ってくるのでは、と思いました。

圧巻だったのは、最後の「握手」です。
理屈抜きに、信頼感や一体感が醸成されると感じました。

ちょうれいさん

ちょうれいよん

ちょうれいご


……と、ここまで書いて思いましたが、
やはり百聞は一見にしかず、かもしれません。

ご興味をもたれた方は、ぜひ同社の例月の見学会に
お申し込みを!  >>>


(編集部・酒井俊宏)



けいかいろく
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2008年06月05日(木)更新

【取材日記】シーン・メイキング 土屋昭義さん

記者としての性か、
つい“ドラマ”が期待できそうな会社を探してしまいがちなところが、
正直、私にはあります。

たとえば、家業を継ぐ、継がない、というケースでは、
肚を括って継いで、苦労を重ねられた人に、
つい肩入れしてしまうようなことです。

そうした先入観は、取材先を探すときにはある程度機能しても、
本当のドラマを見落としてしまうおそれが強いことを、
過日、ある社長さんに教わりました。

経営者会報6月号に掲載中である
「異能経営者がゆく!」の取材でおじゃまさせていただいた、
シーン・メイキング(浜松市)の土屋昭義社長が、そのかたです。

つちやさん

■シーン・メイキング ホームページ >>>


土屋社長は、お父上が始めた家業の電器屋さんを継がず、
地元のゼネコンに就職されます。
三十数年前ですから、現在のヨドバシカメラのように、
小売がメーカーサイドに対してある程度、
影響力をもち得るとは考えにくい時代です。

将来的には家業が構造的に成り立たないと思っていた土屋さんは、
お父上と1年限りと約束をして、同業他社に修業に出ます。
ご発言を一部、記事から引用します。

「約束の1年が経っても、やはり継ぐ気になれなかった。
私は父に『あと10年はもつかもしれないけど、それから
先はない。俺の人生だから、悔いのないよう、好きにさ
せて欲しい』と啖呵を切りました」


ゼネコンに就職した土屋さんは、
公共事業・談合頼みの体質のままではいつか行き詰まると、
会社に民間中心にシフトすべきだと進言します。
が、受け容れられず、独立を果たします。

土屋さんは、新工場や新店舗の展開を、
「成功報酬でいい」と、その会社の社長に代わって企画し、
設計・施工・集客までも手がけるというビジネスで、
おおいに成功しました。

しかし、それにおごらず、新たな展開に挑戦していかれます。
地方のゼネコンをネットワーク化し、大手に対抗するという試みです。
同社が培ってきたノウハウも公開し、現在、100社近い企業が
加盟しているとのこと。

詳しくは、経営者会報6月号を
お手に取っていただければと思いますが、
土屋さんは、創業30年近く経ってこの新事業に挑戦された経緯を
次のように振り返ります。これも記事から引用します。

「納得した人生、充実した人生を送りたい。そういう思い
を突き詰めていけば、現状に流されて生きるのは耐えられ
なかった。家業を継がなかったことと理由は同じです」

ちなみに土屋さんは、家業こそ継ぎませんでしたが、
亡きお父上のことを深く尊敬しておられます。
起業後もいまも、
「まず人のお役に立つ人間になれ!」というお父上の言葉が
支えになっているそうです。

継がなかった人にも継いだ人と同じくらい、ドラマもあり、
継がなかったゆえに、ご自身で作り上げた事業への責任感、
思い入れもまたひときわ、強いものがある──。
土屋さんにはそんな大事なことを教えていただきました。
ありがとうございました。

なお、土屋さんは、多彩な趣味人でもありました。
多忙な日常であるはずなのに、その合間を縫って
こんなに素晴らしい絵もお描きになるのです。

つちやさんえ

まさに、充実した人生を送っておられることが、
この絵から、たしかに伝わってきます。

(編集部・酒井俊宏)



けいかいごがつ
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2008年05月30日(金)更新

【取材日記】ソウル紀行(6)

このソウルレポートも今回が最後です。
少々長くなりますが、駆け足で記していきます。

●韓国一の書店

ソウルで一番売り上げる書店さんが教保文庫(キョボムンコ)です。
ワンフロアですが、2700坪を超えますので、
なかなかのスケールです。

■教保文庫 紹介記事 >>>

ソウル一の繁華街・明洞(ミョンドン)からも歩ける、
光化門(クァンファムン)というエリアにあります。
われわれも何度か足を運びました。

しょてん

このベストセラーのコーナーを境界に、輸入書コーナーがあります。
およそ4分の1は、日本の出版社が占めており、
韓国の人々の日本への関心の高さがうかがえます。
在ソウル日本人のお客が多いからでもあるでしょう。

弊社の本も並べていただいています。

しょてんに

●多種多彩な街、ソウル

ソウルはさまざまな顔をもつ都市です。
たとえば、いまの李大統領がソウル市長時代に推し進め、
2002年にスタートして2年ほどで完成した
国際的にも評価の高い、清渓川(チョンゲチョン)再生プロジェクト。

下水と化し、メタンガス爆発などの事故も起きていたという清渓川に
漢江から水を引いて浄化。約6キロの流域には遊歩道も設けられ、
市民の憩いの場、観光名所となりました。
ここがその源流(地表に水が出る意味で)地点です。

かわ

こうした近代都市的な面と、
南大門市場(下の写真)や東大門市場に見る
雑駁な賑わいとのギャップ。

いちば

一般の住宅は、煉瓦造りの家が多く見られました。

いえなみ

米軍関係者が多く居住し、
各国の大使館なども多い梨泰院(イテウォン)も面白い街でした。
東京でいえば、六本木から広尾界隈というところでしょうか。

革製品のオーダーメイドを手がけるお店が沢山あって、
10日程度の滞在なら、十分に仕上がるスピードと質の双方で
評価が高いそうです。

いておん

綺麗な街ですが、こんな面白い屋台もあったりします。
怪しいお面まで売っていて、さながら世界一小さな「ドンキホーテ」。

どんき

ソウルタワーにも行ってきました。
高いところは実は苦手なのですが、同行K支店長に逆らえず…。

たわー

ロープウェーから。
ろーぷうぇい

残念ながら焼け落ちてしまった南大門は
こんな囲いで覆われていました。

なんでもん

●徹底してクルマ優先

さて、日本と韓国の違い、というよりは
東京とソウルの比較でしかないかもしれませんが、
以下、ソウルで感じた特徴的な面を記します。

正直、街自体、歩行者の便宜がはかられているとはいえません。
歩道橋などはまず見当たらず、横断歩道も少ない。
そのぶん、地下道があって反対側に渡ることはできますが、
車いすの人などは大変だと思いました。
車いすに乗った人は、5日間でたった一人しか見ませんでした。

運転も総じて荒っぽい、というか、歩行者に譲らず、
歩行者のほうがクルマに対して譲る感じです。
私たちの泊まった江南地区は、新開地ということもあって、
とくにその傾向が顕著でした。

しかも道路が渋滞し出すと、バイクが歩道を平気で走る。
そのためか、歩道に敷かれた煉瓦ブロックはぼこぼこになっています。
私はよく躓きました。

自転車も滅多に見かけません。
ロードレーサーに乗った人はたまにみますが、
いわゆるママチャリ的な自転車で流して乗っているような人は皆無。
ちなみにいうと、犬を連れて散歩している人も、
数えるほどしか見ませんでした。

自転車をみかけない代わりに、
地下鉄では、東京よりはるかに「オモニ」の数が多い。
純粋に商売などのために出かけているという感じでした。

●街でみかけた不思議なもの

日本ではまず見ないオブジェもたまに見かけます。

これは一体……。

おぶじぇ

不思議だったのは、地下鉄の構内の自販機。

お菓子やティッシュはわかりますが、
なぜか避妊具まで売っているのです。
どこの駅にもまったく同じ品揃えで置いてありました。

じはんき

かと思えば、これも絶句。
かの「R25」とは無関係、らしいですが……。
どなたか教えてください。

えむにじゅうご

さて、韓国の人々の色彩感覚は、日本人のそれより、だいぶ派手です。
あるいは日本人が地味なだけかもしれませんが……。

ビジネスマンのネクタイの色は老若問わず、
ショッキングピンクやパステルブルー、さもなければ原色に近い青や黄色。
だから日本のビジネスマンは、すぐ見分けがつきます。

日本であれば、風俗街でしか見かけない色のネオンが輝いていても
ちゃんとしたレストランだけが入っているビルだったりする。
これもちょっとした驚きでした。

●大らかで温かい韓国の人々

韓国人は、総じて親切で温かい人たちだと思います。
道に迷って訊ねれば、みなさん一所懸命に教えてくれる。
反日感情のようなものも、まったく感じられませんでした。

どう見ても南方系の私より、大陸・半島系のルックスをしているK支店長は、
ぱりっとした印象もあって、逆に韓国の人からよく道を聞かれていました。
自分を指さし、「イルボン(日本人)、イルボン」と言っても、全然気にせず、
話しかけてくるのです。

しかも、いったん打ち解け出すと、親密になる度合いが早い感じがします。
どこか緊張感の抜けない日本人と違って、リラックスしているような……。
バスで乗り合わせた御老人もそうでした。

つまりは大らかなのでしょう。いわゆる「ケンチャナヨ精神」で、
だから道路が多少でこぼこしていても気にしない。

カニサハムニダとアニョンハセヨ以外、よく使った韓国語といえば、
「メッチュ、チュセヨ」(ビールください)
「ソジュ、チュセヨ」(焼酎ください)
「ヨンスジョン、チュセヨ」(領収証ください)
くらい。
もう少し、言葉を覚えて行けば、
もっと多くの人と親密になれたのにと
いまさらながら後悔しています。

このレポートの最初に韓国の印象を
「ラフでディープで繊細」と書きました。
技術で先端を行き、活気もありながら、
一方でアジア的な牧歌感が漂う国。

その幅の広さ、深さに感じた魅力は、帰国して10日を経たいま、
私のなかで、より増している気がします。

(編集部・酒井俊宏)



けいかいごがつ
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