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2011年07月27日(水)更新

【取材日記】 被災企業・復興への道③気仙沼

7月18日の気仙沼です。
栄えていた港町は、いまはこうなっています。

 

 

 

 

地盤沈下の影響で、かなりの土地が冠水してしまっています。
港界隈は、信号も消えたままです。

かなり港から離れても、船がこうした状態で、
そこここにありました。

報道などでこういった光景を目にしてはいても
やはり現場で目の当たりにし、見上げ、見回してみると
その衝撃は、想像をはるかに超えていました。
ほんとうに、絶句します。


南三陸町へいく途中、あの松島を通過しました。
絶景で知られる松島ですが、私は初めてでした。

地元の牛タン屋さんで食事を取り、
お店の人に聞くと、一階の床上、
私たちが座っている目線の上まで津波が来たそうで、
壁には、海水による横一直線に染みがありました。

他の地域に比べると
いわれるように、島々が緩衝作用をもったようで、
被害は比較的少なかったようです。
観光客もけっこう訪れている印象でした。

でも、程度問題、ではあります。
営業を休む旅館やレストランには、建物が半壊以上の状態の
ところも少なくありません。

町の人からは、「でも、もっと悲惨な人たち、町がたくさんあるから」
という声も聞かれました。
東北人のみなさんは、どこまで辛抱強いのでしょうか・・


次回の取材日記では、いよいよ地元の社長さんたちを
ご紹介していきます。





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2011年07月26日(火)更新

つくば暮らし・ゴーヤカーテン②



以前お伝えした、拙宅の様子を、
写真とともに記します。
和んでいただければ幸いです。


生け垣にしているブルーベリーに
だんだん実がなり出しました。


ゴーヤのカーテンも、これくらいに。

視覚的な効果もあると思いますが、
なにもなかった昨年より、
家の中が涼しく感じられるのはたしかです。

実も、次々になっています。



数粒のタネから育てたので、
その成長ぶりに、生命の神秘とたくましさを
感じます。

ミツバチや蝶や、
雨蛙やら、いろいろな生き物が、
それぞれの目的をもって、
やってきます。

けさ、3本目のゴーヤを収穫しました。
ブルーベリーと合わせて、これが、けさ摘み取った、
自然の恵みです。

ありがたく、いただこうと思います。




ひまわりも、植えるのがちょっと遅かったためか、
まだこんなサイズですが、少しずつ、育ってはいます。



なお、日曜日は、工務店さんからのご依頼で、
拙宅で、見学会が開かれました。

たくさんのご家族連れが見えて、
ふだんの、仕事や取材でお目にかかる方々とは
また違う、楽しい出会いがありました。
みなさん、おだやかで、感じのよいかたばかり。

こちら↓も、ぜひご覧ください。

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2011年07月22日(金)更新

【取材日記】 被災企業・復興への道②南三陸町

被害の甚大だった南三陸町です。
人々の頑張りで、道路は通れるようになっていますが・・



お供えものをするスペースがあり、
お線香が焚かれていました。
私も手を合わせました。

各地でこうした「遺構」を
共通の記憶として風化させないためにこのままずっと残す、
といった議論もあるようです。

被災地のこと、被害状況のことは
皆で共有しなくてはならないし、風化させてはいけないと
思いますが、別の手段があるようにも思います。




津波の脅威を物語る、
クルマが乗ったままの建物はあちこちに見られました。

第一波が満ちていた時間は、
地元の人におたずねすると、10分間くらい。
1階部分は水浸しになるのは覚悟していたけど、
まさか、あれほどとは……ともおっしゃっていました。
 

 


某コンビニエンスストアの店舗です。

自衛隊、警察、消防、さらにボランティアのかたへの
謝意を示す、こうした表示や看板があちこちにありました。

警視庁の機動隊の人たちが、
ご遺体の捜索に携わっているとおぼしき場面にも遭遇しました。

福島の原発で処理にあたっておられる人々もそうですが、
ほんとうに多くの方がまさに体を張って、
捜索や復旧に携わっておられます。
頭が下がります。

仕事をもっている人間は、まずその仕事をきっちりやることだ、
と思っていますが、そのうえでこうしたボランティアに励む人も
多いと思うと、本当に頭が下がります。


南三陸町だけではありませんが、
宮城県内、そして県外からも
多くのボランティアの方がやってきています。

高台にある、体育施設に町役場機能を移し、
その敷地内に上の写真の、ボランティアセンターが
設置されています。

周辺の道路や空き地には、ボランティアのかたがたが
自分で設置した宿泊用テントがおびただしい数にのぼっていて
なんともいえない心強さを感じました。

実は行きの新幹線車内も、
上野で朝7時台の早い列車に乗ったにもかかわらず、
満席状態でした。若いボランティアの方や、なかには
母娘とおぼしき人たちもおられました。

少しでも東北でお金を落とそうという風情の、
初老のご夫婦なども多いように思いました。

東北新幹線は、北関東などへの取材で
よく乗りますが、指定席であれほど混んでいたのは
記憶にないことです。

さて、あろうことか、先日、首相の座にある人は、
なでしこジャパンの澤穂希選手に、
「これから間に合うかわからないけどリーダーシップを学びたい」
と言ったそうです。もはや絶句するほかありません。

澤さんはもちろんすばらしい。
なでしこジャパンもすばらしい活躍でした。

が、いまこの状況下で、
政治のトップに立つ人物が言うべき台詞ではないことは
いうまでもないでしょう。

政治の空白が埋められたのなら、
これほど犠牲的精神をもつ人が多いのですから、
復興は加速度的に進んでいくのではないか、と思うのです。




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2011年07月20日(水)更新

【取材日記】 被災企業・復興への道①仙台市若林区


7月18日と19日の両日、仙台市から南三陸町、気仙沼市、
内陸部で被害の大きかった大崎市など、宮城県から岩手県を
やや駆け足でまわってきました。
 
ニュートップリーダー9月号では、
被災された企業の、復活を期しておられる
経営者の方々への取材をまとめたレポート記事の掲載を予定しています。
その取材で、私は震災後はじめて東北に足を踏み入れました。
 
速報的に現地から携帯電話と写メールでアップしていましたが、
もう少ししっかり撮った写真で(といっても私の腕なので限界が…)
お知らせしたいと思った次第です。
お話をうかがった経営者の皆さんの声は
追ってご紹介していきます。
 
まず第一に感じたのは、がれきの処理が
やはり、まだまだ進んでいないということです。
 
もちろん、かつてない被害地域の広さであり、
その意味では政府や為政者を悪者にすればすむ話ではないのは
わかりますが、四か月以上も経っているのです。
 
四か月以上も経っているのに、こうである、
という事実は、現地に足を運んでみて強く感じたことです。
 
みなさんは、どうお感じになりますか。
 
少なくとも、まだまだこういう状況である、
という認識をもっともっと、
皆で共有しないといけないのではないか、
と思います。
 
今回は、仙台市の海に面した若林区です。
ほんとうに、言葉がありません。

建物の基礎部分しか残っていません。

学校も……。

あちこちに花が手向けられていました。
つい、手を合わさずにはいられませんでした。

防砂林の松林はほとんどの木が根本で折れていて、
津波の寄せと引きのエネルギーのすさまじさを物語っていました。
 
次回は、海沿いに北上した
南三陸町の様子をアップします。



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2011年07月19日(火)更新

【取材日記(速報)】 南三陸町 ヤマウチ社長・山内正文さん


南三陸町にはたくさんのボランティアの人たちがやってきて
さまざまな支援活動に従事しておられます。
本当に頭が下がります。

そして今日は町の復興のキーマンに
お目にかかることができました。
株式会社ヤマウチの山内正文社長です。

いつか改めてご紹介したいと思っていますが
本当に立派なかたでした。

膨大なエネルギーと愛と、町への愛着に圧倒されました。

山内さんはあの地震のあと、わずか20分ほどの間に
町内4カ所の店舗や工場を回り、従業員のみなさんの安否を確かめられてから
高台にある避難場所に行かれたとのこと。

今回取材させていただいた社長さんは
みなさんそのようなかたばかりでした。


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