酒井俊宏の「こんな社長さんに会ってきました!」 | 経営者会報 (社長ブログ)
「経営者会報ブログ」&「ニュートップリーダー」編集記者・酒井俊宏の「こんな社長さんに会ってきました!」
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2008年06月19日(木)更新
【取材日記】福永雅文氏「小が大に勝つ戦略」 ヤマグチ・山口勉さん
先日、経営者会報に好評連載中の
経営コンサルタント、福永雅文氏による『小が大に勝つ戦略』の取材に
お供させていただきました。
お相手はでんかのヤマグチ(株式会社ヤマグチ)社長の山口勉さんです。
「でんかのヤマグチ」は、東京・町田市に店舗を構える、
いわゆる「町の電器屋さん」ですが、
一時は大型チェーンが何店舗もひしめいたこのエリアで一歩も引かず、
独自の地位を築き上げておられます。
■でんかのヤマグチ ホームページ >>>
ほんの一部、内容をご紹介しますが、
詳しくは7月1日発行予定の、経営者会報7月号を
ご参照いただければと思います。
福永さんの、鋭い分析をされながらも温かい筆致の文章で
同社の取り組みを知ることができることでしょう。
同社の特徴は、いわゆる『ご用聞き』営業。
電球1個からでもお届けする姿勢で、エリア内でのファンを増やしています。
お客さんをお招きしてイベントを開き、カツオや鰻、ジャガイモなど、旬の食材を
その時期に合わせて、格安で販売、あるいは進呈するといった、
普通の電器屋さんが考えつかない取り組みをしてこられました。
そうした努力の甲斐あって、7、8年前の段階で25%だった粗利率も、
いまでは、30%をゆうに超えています。
山口さんは次のようにおっしゃいます。
「大規模店の進出で、売上は絶対に落ちてしまう。
3割は落ちるとみていました。それでも生き残る
には利益率を上げること。いまのお客様をより大
切にしていくしかないと思っていました」
まさに「小が大に勝つ」ためのヒントを
身をもって示しておられます。
でんかのヤマグチでは、こんな看板も掲げておられます。
同社の姿勢を象徴的に示していると思います。
地域に密着するという理念を、
小さなことから実践されて、近隣の人たちに
喜ばれています。
山口さん、お忙しいなか、ありがとうございました!
さて、ここで、改めて、福永さんのご紹介を
させていただきます。
福永さんはランチェスター戦略研究の第一人者といってよいでしょう。
弊社から本も出されています。ちょっと宣伝してしまいます。
■戦国マーケティング ホームページ >>>
福永さんの取材にお供させていただくと
本当に勉強になります。
ポイントの押さえ方や目のつけどころが凄いのは
いうまでもないとしても、
お話を引き出すのがお見事なのです。
私などが「御社の事業の特徴はなんですか」と
大上段に聞いてしまいがちなところを、
「それでどうされました?」「すぐ成果は出たのですか?」
と、先方のお話を遮ることなく、流れに沿って
実にスムーズに引き出していかれます。
10年以上、取材をしていて、そこそこやれるようになってきたと
心のどこかで思っていたりしましたが、とんでもない。
まだまだ勉強です。
福永さん、いつもありがとうございます。
これからもご指導を賜りますよう、お願い申しあげます!
■中小企業経営者のための羅針盤『月刊経営者会報』
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経営コンサルタント、福永雅文氏による『小が大に勝つ戦略』の取材に
お供させていただきました。
お相手はでんかのヤマグチ(株式会社ヤマグチ)社長の山口勉さんです。
「でんかのヤマグチ」は、東京・町田市に店舗を構える、
いわゆる「町の電器屋さん」ですが、
一時は大型チェーンが何店舗もひしめいたこのエリアで一歩も引かず、
独自の地位を築き上げておられます。
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ほんの一部、内容をご紹介しますが、
詳しくは7月1日発行予定の、経営者会報7月号を
ご参照いただければと思います。
福永さんの、鋭い分析をされながらも温かい筆致の文章で
同社の取り組みを知ることができることでしょう。
同社の特徴は、いわゆる『ご用聞き』営業。
電球1個からでもお届けする姿勢で、エリア内でのファンを増やしています。
お客さんをお招きしてイベントを開き、カツオや鰻、ジャガイモなど、旬の食材を
その時期に合わせて、格安で販売、あるいは進呈するといった、
普通の電器屋さんが考えつかない取り組みをしてこられました。
そうした努力の甲斐あって、7、8年前の段階で25%だった粗利率も、
いまでは、30%をゆうに超えています。
山口さんは次のようにおっしゃいます。
「大規模店の進出で、売上は絶対に落ちてしまう。
3割は落ちるとみていました。それでも生き残る
には利益率を上げること。いまのお客様をより大
切にしていくしかないと思っていました」
まさに「小が大に勝つ」ためのヒントを
身をもって示しておられます。
でんかのヤマグチでは、こんな看板も掲げておられます。
同社の姿勢を象徴的に示していると思います。
地域に密着するという理念を、
小さなことから実践されて、近隣の人たちに
喜ばれています。
山口さん、お忙しいなか、ありがとうございました!
さて、ここで、改めて、福永さんのご紹介を
させていただきます。
福永さんはランチェスター戦略研究の第一人者といってよいでしょう。
弊社から本も出されています。ちょっと宣伝してしまいます。
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本当に勉強になります。
ポイントの押さえ方や目のつけどころが凄いのは
いうまでもないとしても、
お話を引き出すのがお見事なのです。
私などが「御社の事業の特徴はなんですか」と
大上段に聞いてしまいがちなところを、
「それでどうされました?」「すぐ成果は出たのですか?」
と、先方のお話を遮ることなく、流れに沿って
実にスムーズに引き出していかれます。
10年以上、取材をしていて、そこそこやれるようになってきたと
心のどこかで思っていたりしましたが、とんでもない。
まだまだ勉強です。
福永さん、いつもありがとうございます。
これからもご指導を賜りますよう、お願い申しあげます!
(編集部・酒井俊宏)
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2008年06月13日(金)更新
【取材日記】メトラン トラン・ゴック・フックさん
先日、経営者会報「異能経営者がゆく!」の取材で、
凄い人にお会いしてきました。
ベトナムから来日し、いまでは帰化して日本人となった、
株式会社メトラン社長・新田一福(トラン・ゴック・フック)さんです。
■メトラン ホームページ >>>
1947年にベトナム・ユエ(フエ)市に生まれたフックさんは、
68年、私費留学生として来日。
東海大学工学部で学ばれ、ご卒業と同時に
医療機器メーカーに研修生として入社されます。
そして、84年に独立し、メトランを設立。
その間、ご存じの通りベトナム戦争があって、
ご両親の住んでおられたサイゴン(現ホーチミン)が陥落。
音信不通になってしまいます。(のちに感動の再会を果たされます)
運命に翻弄されながらも、フックさんは夢を追いかけ、
世界初の「高頻度振動換気(HFO)人工呼吸器」を開発。
かつての人工呼吸器は、圧力をかけて肺胞を膨らませ、
呼吸させるものが主流で、
呼吸器系統が形成されきっていない未熟児に使用すると、
後遺症が残るケースも多かったそうです。
同社はリニアモーターで1分間あたり900回という細かい振動を作り出し、
肺胞に負担をかけず、自然な呼吸を促すことに成功します。
このジャンルにおいては、日本一のシェアを誇り、
多くの未熟児の命を救っておられるのです。
当時、フックさんと同様の、
ベトナムの富裕層の子弟は、
留学先に欧米を選ぶ人が多かったそうですが、
少年の頃から日本に憧れ、
合気道など武道をたしなんでいたフックさんは
日本行きを選びます。
フックさんはどうしてそれほどまでに
日本に憧れたのでしょう。
詳しくは、来月1日発行予定の経営者会報7月号を
お手に取っていただければと思いますが、
フックさんは次のようにおっしゃいました。
お聞きしている間、
私は不覚にも、目頭が熱くなってしまいました。
「私は東洋は一つの共通した文化圏だと思います。
ある時代まで、日本もベトナムも中国からたくさ
ん学んだけど、東洋的な価値観のよい面、たとえ
ば義理とか人情などの道徳観を国づくりのレベル
で活かして、近代国家を実現した国は日本だけな
んです。日本人は東洋の“宝物”のようなものを、
東洋の人たちのために大事に守り、形を整えて育
ててくれた。これは凄いことです」
日本と日本人を、ここまで評価してもらえるのは、
過去の立派な、私たちの先達・父祖のおかげに他なりません。
来日されてからも、
フックさんの親日度は変わりませんでした。
「実際に来てみたら、みなさん本当に温かかった。
研究者として成功できたのは、面倒をみてくださ
ったたくさんの人たちのおかげ。日本と日本人が
好きだから、『ああ、日本ではこうなんだ』と、
違い自体が面白くて、毎日が楽しくてしかたがな
かった」
フックさんは「お世話になった」という日本で
事業を通じて社会貢献をしてこられました。
将来的には、ベトナムに生産拠点をもち、
世界中に同社製品をもたらし、同時に、
母国ベトナムでの雇用創出に寄与するという考えをおもちです。
そんなフックさんのお話を
1時間あまりお聞きしていると、
すでに日本に帰化されているフックさんには大変失礼ながら、
普通の日本人よりもはるかに日本人らしいかただと思いました。
同時に、かつての日本には、きっとフックさんのような
素晴らしい心映えの人がたくさんいたのではないか、と思いました。
私ごときになにができるのかわかりませんが、
フックさんの姿勢を見習って、まずは、足もとの小さなことから、
フックさんが憧れを抱いた日本人の一人として
恥ずかしくないふるまいをしていこう、と肝に銘じた次第です。
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凄い人にお会いしてきました。
ベトナムから来日し、いまでは帰化して日本人となった、
株式会社メトラン社長・新田一福(トラン・ゴック・フック)さんです。
■メトラン ホームページ >>>
1947年にベトナム・ユエ(フエ)市に生まれたフックさんは、
68年、私費留学生として来日。
東海大学工学部で学ばれ、ご卒業と同時に
医療機器メーカーに研修生として入社されます。
そして、84年に独立し、メトランを設立。
その間、ご存じの通りベトナム戦争があって、
ご両親の住んでおられたサイゴン(現ホーチミン)が陥落。
音信不通になってしまいます。(のちに感動の再会を果たされます)
運命に翻弄されながらも、フックさんは夢を追いかけ、
世界初の「高頻度振動換気(HFO)人工呼吸器」を開発。
かつての人工呼吸器は、圧力をかけて肺胞を膨らませ、
呼吸させるものが主流で、
呼吸器系統が形成されきっていない未熟児に使用すると、
後遺症が残るケースも多かったそうです。
同社はリニアモーターで1分間あたり900回という細かい振動を作り出し、
肺胞に負担をかけず、自然な呼吸を促すことに成功します。
このジャンルにおいては、日本一のシェアを誇り、
多くの未熟児の命を救っておられるのです。
当時、フックさんと同様の、
ベトナムの富裕層の子弟は、
留学先に欧米を選ぶ人が多かったそうですが、
少年の頃から日本に憧れ、
合気道など武道をたしなんでいたフックさんは
日本行きを選びます。
フックさんはどうしてそれほどまでに
日本に憧れたのでしょう。
詳しくは、来月1日発行予定の経営者会報7月号を
お手に取っていただければと思いますが、
フックさんは次のようにおっしゃいました。
お聞きしている間、
私は不覚にも、目頭が熱くなってしまいました。
「私は東洋は一つの共通した文化圏だと思います。
ある時代まで、日本もベトナムも中国からたくさ
ん学んだけど、東洋的な価値観のよい面、たとえ
ば義理とか人情などの道徳観を国づくりのレベル
で活かして、近代国家を実現した国は日本だけな
んです。日本人は東洋の“宝物”のようなものを、
東洋の人たちのために大事に守り、形を整えて育
ててくれた。これは凄いことです」
日本と日本人を、ここまで評価してもらえるのは、
過去の立派な、私たちの先達・父祖のおかげに他なりません。
来日されてからも、
フックさんの親日度は変わりませんでした。
「実際に来てみたら、みなさん本当に温かかった。
研究者として成功できたのは、面倒をみてくださ
ったたくさんの人たちのおかげ。日本と日本人が
好きだから、『ああ、日本ではこうなんだ』と、
違い自体が面白くて、毎日が楽しくてしかたがな
かった」
フックさんは「お世話になった」という日本で
事業を通じて社会貢献をしてこられました。
将来的には、ベトナムに生産拠点をもち、
世界中に同社製品をもたらし、同時に、
母国ベトナムでの雇用創出に寄与するという考えをおもちです。
そんなフックさんのお話を
1時間あまりお聞きしていると、
すでに日本に帰化されているフックさんには大変失礼ながら、
普通の日本人よりもはるかに日本人らしいかただと思いました。
同時に、かつての日本には、きっとフックさんのような
素晴らしい心映えの人がたくさんいたのではないか、と思いました。
私ごときになにができるのかわかりませんが、
フックさんの姿勢を見習って、まずは、足もとの小さなことから、
フックさんが憧れを抱いた日本人の一人として
恥ずかしくないふるまいをしていこう、と肝に銘じた次第です。
(編集部・酒井俊宏)
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2008年06月07日(土)更新
【取材日記】レーザーテック 浜野太郎さん
去る6月3日、
会員さんのレーザーテック社長・浜野太郎さんに
取材をさせていただきました。
■レーザーテック ホームページ >>>
浜野さんには、少し前に「働きがいのある会社」という特集でも
ご登場いただいて、これが私にとって2度目の取材です。
取材内容は、経営者会報7月号掲載予定の「社長ブロガー登場!」です。
この連載では、ブログを始められたきっかけや事業への効用、
さらにブログを始めてからのご本人の内面の変化などをお聞きしています。
アーカイブは拙ブログにまとめてあります。
浜野さんのブログ活用法で特徴的なのは、
書かれたブログを本にまとめて、社員さんや
見学者・来訪者に配布しておられることです。
(撮影・浜野太郎氏)
会社のことを知ってもらううえで、
非常に効果があるそうです。
ただ、今回は、前回、見学できなかった
同社の「朝礼」をぜひとも見学させていただきたく、
その旨、浜野さんにお願いすると、
朝礼見学会の日程でもないのに、快諾してくださいました。
浜野さん、ありがとうございました。
(ちなみに見学会は毎月第三水曜日だそうです)
レーザーテックさんの朝礼は、噂には聞いていましたし、
浜野さんご自身がブログでご紹介されている記事も
拝見させていただいていましたが、
実際に目の当たりにすると、
想像していた以上に、若い社員さんの教育、
情報の共有、一体感を醸成していくうえで
効果絶大だと感じた次第です。
写真中心にご紹介します。
司会は、若い社員さんが持ち回りで担当します。
8時20分開始。まずは大きな声で挨拶。
「業務遂行にあたって」という、業務上の心がけをまとめたものから
1項目を抜粋して司会者が読み上げます。
そのあと、連絡事項の報告、
さらに「職場の教養」という、
倫理法人会さんが出版されている月刊の冊子から、
その日のコラム(毎月朝礼などで読めるよう、毎日1本分が掲載されています)を
みなさんで輪読します。
次に、司会者による1分間のスピーチ。テーマは限定せず、
日頃、考えていることや、気づいたことを述べます。
そして工程の打ち合わせ。
当然、事務系の人も出席されているわけですが、
こうしたことがミスを防ぐことになるでしょうし、
なにより、現場を知っているのと知らないのとでは、
仕事への理解も当事者意識も違ってくるのでは、と思いました。
圧巻だったのは、最後の「握手」です。
理屈抜きに、信頼感や一体感が醸成されると感じました。
……と、ここまで書いて思いましたが、
やはり百聞は一見にしかず、かもしれません。
ご興味をもたれた方は、ぜひ同社の例月の見学会に
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さらにブログを始めてからのご本人の内面の変化などをお聞きしています。
アーカイブは拙ブログにまとめてあります。
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(撮影・浜野太郎氏)
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非常に効果があるそうです。
ただ、今回は、前回、見学できなかった
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その旨、浜野さんにお願いすると、
朝礼見学会の日程でもないのに、快諾してくださいました。
浜野さん、ありがとうございました。
(ちなみに見学会は毎月第三水曜日だそうです)
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拝見させていただいていましたが、
実際に目の当たりにすると、
想像していた以上に、若い社員さんの教育、
情報の共有、一体感を醸成していくうえで
効果絶大だと感じた次第です。
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司会は、若い社員さんが持ち回りで担当します。
8時20分開始。まずは大きな声で挨拶。
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そのあと、連絡事項の報告、
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次に、司会者による1分間のスピーチ。テーマは限定せず、
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そして工程の打ち合わせ。
当然、事務系の人も出席されているわけですが、
こうしたことがミスを防ぐことになるでしょうし、
なにより、現場を知っているのと知らないのとでは、
仕事への理解も当事者意識も違ってくるのでは、と思いました。
圧巻だったのは、最後の「握手」です。
理屈抜きに、信頼感や一体感が醸成されると感じました。
……と、ここまで書いて思いましたが、
やはり百聞は一見にしかず、かもしれません。
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(編集部・酒井俊宏)
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2008年06月05日(木)更新
【取材日記】シーン・メイキング 土屋昭義さん
記者としての性か、
つい“ドラマ”が期待できそうな会社を探してしまいがちなところが、
正直、私にはあります。
たとえば、家業を継ぐ、継がない、というケースでは、
肚を括って継いで、苦労を重ねられた人に、
つい肩入れしてしまうようなことです。
そうした先入観は、取材先を探すときにはある程度機能しても、
本当のドラマを見落としてしまうおそれが強いことを、
過日、ある社長さんに教わりました。
経営者会報6月号に掲載中である
「異能経営者がゆく!」の取材でおじゃまさせていただいた、
シーン・メイキング(浜松市)の土屋昭義社長が、そのかたです。
■シーン・メイキング ホームページ >>>
土屋社長は、お父上が始めた家業の電器屋さんを継がず、
地元のゼネコンに就職されます。
三十数年前ですから、現在のヨドバシカメラのように、
小売がメーカーサイドに対してある程度、
影響力をもち得るとは考えにくい時代です。
将来的には家業が構造的に成り立たないと思っていた土屋さんは、
お父上と1年限りと約束をして、同業他社に修業に出ます。
ご発言を一部、記事から引用します。
「約束の1年が経っても、やはり継ぐ気になれなかった。
私は父に『あと10年はもつかもしれないけど、それから
先はない。俺の人生だから、悔いのないよう、好きにさ
せて欲しい』と啖呵を切りました」
ゼネコンに就職した土屋さんは、
公共事業・談合頼みの体質のままではいつか行き詰まると、
会社に民間中心にシフトすべきだと進言します。
が、受け容れられず、独立を果たします。
土屋さんは、新工場や新店舗の展開を、
「成功報酬でいい」と、その会社の社長に代わって企画し、
設計・施工・集客までも手がけるというビジネスで、
おおいに成功しました。
しかし、それにおごらず、新たな展開に挑戦していかれます。
地方のゼネコンをネットワーク化し、大手に対抗するという試みです。
同社が培ってきたノウハウも公開し、現在、100社近い企業が
加盟しているとのこと。
詳しくは、経営者会報6月号を
お手に取っていただければと思いますが、
土屋さんは、創業30年近く経ってこの新事業に挑戦された経緯を
次のように振り返ります。これも記事から引用します。
「納得した人生、充実した人生を送りたい。そういう思い
を突き詰めていけば、現状に流されて生きるのは耐えられ
なかった。家業を継がなかったことと理由は同じです」
ちなみに土屋さんは、家業こそ継ぎませんでしたが、
亡きお父上のことを深く尊敬しておられます。
起業後もいまも、
「まず人のお役に立つ人間になれ!」というお父上の言葉が
支えになっているそうです。
継がなかった人にも継いだ人と同じくらい、ドラマもあり、
継がなかったゆえに、ご自身で作り上げた事業への責任感、
思い入れもまたひときわ、強いものがある──。
土屋さんにはそんな大事なことを教えていただきました。
ありがとうございました。
なお、土屋さんは、多彩な趣味人でもありました。
多忙な日常であるはずなのに、その合間を縫って
こんなに素晴らしい絵もお描きになるのです。
まさに、充実した人生を送っておられることが、
この絵から、たしかに伝わってきます。
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つい“ドラマ”が期待できそうな会社を探してしまいがちなところが、
正直、私にはあります。
たとえば、家業を継ぐ、継がない、というケースでは、
肚を括って継いで、苦労を重ねられた人に、
つい肩入れしてしまうようなことです。
そうした先入観は、取材先を探すときにはある程度機能しても、
本当のドラマを見落としてしまうおそれが強いことを、
過日、ある社長さんに教わりました。
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シーン・メイキング(浜松市)の土屋昭義社長が、そのかたです。
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地元のゼネコンに就職されます。
三十数年前ですから、現在のヨドバシカメラのように、
小売がメーカーサイドに対してある程度、
影響力をもち得るとは考えにくい時代です。
将来的には家業が構造的に成り立たないと思っていた土屋さんは、
お父上と1年限りと約束をして、同業他社に修業に出ます。
ご発言を一部、記事から引用します。
「約束の1年が経っても、やはり継ぐ気になれなかった。
私は父に『あと10年はもつかもしれないけど、それから
先はない。俺の人生だから、悔いのないよう、好きにさ
せて欲しい』と啖呵を切りました」
ゼネコンに就職した土屋さんは、
公共事業・談合頼みの体質のままではいつか行き詰まると、
会社に民間中心にシフトすべきだと進言します。
が、受け容れられず、独立を果たします。
土屋さんは、新工場や新店舗の展開を、
「成功報酬でいい」と、その会社の社長に代わって企画し、
設計・施工・集客までも手がけるというビジネスで、
おおいに成功しました。
しかし、それにおごらず、新たな展開に挑戦していかれます。
地方のゼネコンをネットワーク化し、大手に対抗するという試みです。
同社が培ってきたノウハウも公開し、現在、100社近い企業が
加盟しているとのこと。
詳しくは、経営者会報6月号を
お手に取っていただければと思いますが、
土屋さんは、創業30年近く経ってこの新事業に挑戦された経緯を
次のように振り返ります。これも記事から引用します。
「納得した人生、充実した人生を送りたい。そういう思い
を突き詰めていけば、現状に流されて生きるのは耐えられ
なかった。家業を継がなかったことと理由は同じです」
ちなみに土屋さんは、家業こそ継ぎませんでしたが、
亡きお父上のことを深く尊敬しておられます。
起業後もいまも、
「まず人のお役に立つ人間になれ!」というお父上の言葉が
支えになっているそうです。
継がなかった人にも継いだ人と同じくらい、ドラマもあり、
継がなかったゆえに、ご自身で作り上げた事業への責任感、
思い入れもまたひときわ、強いものがある──。
土屋さんにはそんな大事なことを教えていただきました。
ありがとうございました。
なお、土屋さんは、多彩な趣味人でもありました。
多忙な日常であるはずなのに、その合間を縫って
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まさに、充実した人生を送っておられることが、
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2008年05月30日(金)更新
【取材日記】ソウル紀行(6)
このソウルレポートも今回が最後です。
少々長くなりますが、駆け足で記していきます。
●韓国一の書店
ソウルで一番売り上げる書店さんが教保文庫(キョボムンコ)です。
ワンフロアですが、2700坪を超えますので、
なかなかのスケールです。
■教保文庫 紹介記事 >>>
ソウル一の繁華街・明洞(ミョンドン)からも歩ける、
光化門(クァンファムン)というエリアにあります。
われわれも何度か足を運びました。
このベストセラーのコーナーを境界に、輸入書コーナーがあります。
およそ4分の1は、日本の出版社が占めており、
韓国の人々の日本への関心の高さがうかがえます。
在ソウル日本人のお客が多いからでもあるでしょう。
弊社の本も並べていただいています。
●多種多彩な街、ソウル
ソウルはさまざまな顔をもつ都市です。
たとえば、いまの李大統領がソウル市長時代に推し進め、
2002年にスタートして2年ほどで完成した
国際的にも評価の高い、清渓川(チョンゲチョン)再生プロジェクト。
下水と化し、メタンガス爆発などの事故も起きていたという清渓川に
漢江から水を引いて浄化。約6キロの流域には遊歩道も設けられ、
市民の憩いの場、観光名所となりました。
ここがその源流(地表に水が出る意味で)地点です。
こうした近代都市的な面と、
南大門市場(下の写真)や東大門市場に見る
雑駁な賑わいとのギャップ。
一般の住宅は、煉瓦造りの家が多く見られました。
米軍関係者が多く居住し、
各国の大使館なども多い梨泰院(イテウォン)も面白い街でした。
東京でいえば、六本木から広尾界隈というところでしょうか。
革製品のオーダーメイドを手がけるお店が沢山あって、
10日程度の滞在なら、十分に仕上がるスピードと質の双方で
評価が高いそうです。
綺麗な街ですが、こんな面白い屋台もあったりします。
怪しいお面まで売っていて、さながら世界一小さな「ドンキホーテ」。
ソウルタワーにも行ってきました。
高いところは実は苦手なのですが、同行K支店長に逆らえず…。
ロープウェーから。
残念ながら焼け落ちてしまった南大門は
こんな囲いで覆われていました。
●徹底してクルマ優先
さて、日本と韓国の違い、というよりは
東京とソウルの比較でしかないかもしれませんが、
以下、ソウルで感じた特徴的な面を記します。
正直、街自体、歩行者の便宜がはかられているとはいえません。
歩道橋などはまず見当たらず、横断歩道も少ない。
そのぶん、地下道があって反対側に渡ることはできますが、
車いすの人などは大変だと思いました。
車いすに乗った人は、5日間でたった一人しか見ませんでした。
運転も総じて荒っぽい、というか、歩行者に譲らず、
歩行者のほうがクルマに対して譲る感じです。
私たちの泊まった江南地区は、新開地ということもあって、
とくにその傾向が顕著でした。
しかも道路が渋滞し出すと、バイクが歩道を平気で走る。
そのためか、歩道に敷かれた煉瓦ブロックはぼこぼこになっています。
私はよく躓きました。
自転車も滅多に見かけません。
ロードレーサーに乗った人はたまにみますが、
いわゆるママチャリ的な自転車で流して乗っているような人は皆無。
ちなみにいうと、犬を連れて散歩している人も、
数えるほどしか見ませんでした。
自転車をみかけない代わりに、
地下鉄では、東京よりはるかに「オモニ」の数が多い。
純粋に商売などのために出かけているという感じでした。
●街でみかけた不思議なもの
日本ではまず見ないオブジェもたまに見かけます。
これは一体……。
不思議だったのは、地下鉄の構内の自販機。
お菓子やティッシュはわかりますが、
なぜか避妊具まで売っているのです。
どこの駅にもまったく同じ品揃えで置いてありました。
かと思えば、これも絶句。
かの「R25」とは無関係、らしいですが……。
どなたか教えてください。
さて、韓国の人々の色彩感覚は、日本人のそれより、だいぶ派手です。
あるいは日本人が地味なだけかもしれませんが……。
ビジネスマンのネクタイの色は老若問わず、
ショッキングピンクやパステルブルー、さもなければ原色に近い青や黄色。
だから日本のビジネスマンは、すぐ見分けがつきます。
日本であれば、風俗街でしか見かけない色のネオンが輝いていても
ちゃんとしたレストランだけが入っているビルだったりする。
これもちょっとした驚きでした。
●大らかで温かい韓国の人々
韓国人は、総じて親切で温かい人たちだと思います。
道に迷って訊ねれば、みなさん一所懸命に教えてくれる。
反日感情のようなものも、まったく感じられませんでした。
どう見ても南方系の私より、大陸・半島系のルックスをしているK支店長は、
ぱりっとした印象もあって、逆に韓国の人からよく道を聞かれていました。
自分を指さし、「イルボン(日本人)、イルボン」と言っても、全然気にせず、
話しかけてくるのです。
しかも、いったん打ち解け出すと、親密になる度合いが早い感じがします。
どこか緊張感の抜けない日本人と違って、リラックスしているような……。
バスで乗り合わせた御老人もそうでした。
つまりは大らかなのでしょう。いわゆる「ケンチャナヨ精神」で、
だから道路が多少でこぼこしていても気にしない。
カニサハムニダとアニョンハセヨ以外、よく使った韓国語といえば、
「メッチュ、チュセヨ」(ビールください)
「ソジュ、チュセヨ」(焼酎ください)
「ヨンスジョン、チュセヨ」(領収証ください)
くらい。
もう少し、言葉を覚えて行けば、
もっと多くの人と親密になれたのにと
いまさらながら後悔しています。
このレポートの最初に韓国の印象を
「ラフでディープで繊細」と書きました。
技術で先端を行き、活気もありながら、
一方でアジア的な牧歌感が漂う国。
その幅の広さ、深さに感じた魅力は、帰国して10日を経たいま、
私のなかで、より増している気がします。
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少々長くなりますが、駆け足で記していきます。
●韓国一の書店
ソウルで一番売り上げる書店さんが教保文庫(キョボムンコ)です。
ワンフロアですが、2700坪を超えますので、
なかなかのスケールです。
■教保文庫 紹介記事 >>>
ソウル一の繁華街・明洞(ミョンドン)からも歩ける、
光化門(クァンファムン)というエリアにあります。
われわれも何度か足を運びました。
このベストセラーのコーナーを境界に、輸入書コーナーがあります。
およそ4分の1は、日本の出版社が占めており、
韓国の人々の日本への関心の高さがうかがえます。
在ソウル日本人のお客が多いからでもあるでしょう。
弊社の本も並べていただいています。
●多種多彩な街、ソウル
ソウルはさまざまな顔をもつ都市です。
たとえば、いまの李大統領がソウル市長時代に推し進め、
2002年にスタートして2年ほどで完成した
国際的にも評価の高い、清渓川(チョンゲチョン)再生プロジェクト。
下水と化し、メタンガス爆発などの事故も起きていたという清渓川に
漢江から水を引いて浄化。約6キロの流域には遊歩道も設けられ、
市民の憩いの場、観光名所となりました。
ここがその源流(地表に水が出る意味で)地点です。
こうした近代都市的な面と、
南大門市場(下の写真)や東大門市場に見る
雑駁な賑わいとのギャップ。
一般の住宅は、煉瓦造りの家が多く見られました。
米軍関係者が多く居住し、
各国の大使館なども多い梨泰院(イテウォン)も面白い街でした。
東京でいえば、六本木から広尾界隈というところでしょうか。
革製品のオーダーメイドを手がけるお店が沢山あって、
10日程度の滞在なら、十分に仕上がるスピードと質の双方で
評価が高いそうです。
綺麗な街ですが、こんな面白い屋台もあったりします。
怪しいお面まで売っていて、さながら世界一小さな「ドンキホーテ」。
ソウルタワーにも行ってきました。
高いところは実は苦手なのですが、同行K支店長に逆らえず…。
ロープウェーから。
残念ながら焼け落ちてしまった南大門は
こんな囲いで覆われていました。
●徹底してクルマ優先
さて、日本と韓国の違い、というよりは
東京とソウルの比較でしかないかもしれませんが、
以下、ソウルで感じた特徴的な面を記します。
正直、街自体、歩行者の便宜がはかられているとはいえません。
歩道橋などはまず見当たらず、横断歩道も少ない。
そのぶん、地下道があって反対側に渡ることはできますが、
車いすの人などは大変だと思いました。
車いすに乗った人は、5日間でたった一人しか見ませんでした。
運転も総じて荒っぽい、というか、歩行者に譲らず、
歩行者のほうがクルマに対して譲る感じです。
私たちの泊まった江南地区は、新開地ということもあって、
とくにその傾向が顕著でした。
しかも道路が渋滞し出すと、バイクが歩道を平気で走る。
そのためか、歩道に敷かれた煉瓦ブロックはぼこぼこになっています。
私はよく躓きました。
自転車も滅多に見かけません。
ロードレーサーに乗った人はたまにみますが、
いわゆるママチャリ的な自転車で流して乗っているような人は皆無。
ちなみにいうと、犬を連れて散歩している人も、
数えるほどしか見ませんでした。
自転車をみかけない代わりに、
地下鉄では、東京よりはるかに「オモニ」の数が多い。
純粋に商売などのために出かけているという感じでした。
●街でみかけた不思議なもの
日本ではまず見ないオブジェもたまに見かけます。
これは一体……。
不思議だったのは、地下鉄の構内の自販機。
お菓子やティッシュはわかりますが、
なぜか避妊具まで売っているのです。
どこの駅にもまったく同じ品揃えで置いてありました。
かと思えば、これも絶句。
かの「R25」とは無関係、らしいですが……。
どなたか教えてください。
さて、韓国の人々の色彩感覚は、日本人のそれより、だいぶ派手です。
あるいは日本人が地味なだけかもしれませんが……。
ビジネスマンのネクタイの色は老若問わず、
ショッキングピンクやパステルブルー、さもなければ原色に近い青や黄色。
だから日本のビジネスマンは、すぐ見分けがつきます。
日本であれば、風俗街でしか見かけない色のネオンが輝いていても
ちゃんとしたレストランだけが入っているビルだったりする。
これもちょっとした驚きでした。
●大らかで温かい韓国の人々
韓国人は、総じて親切で温かい人たちだと思います。
道に迷って訊ねれば、みなさん一所懸命に教えてくれる。
反日感情のようなものも、まったく感じられませんでした。
どう見ても南方系の私より、大陸・半島系のルックスをしているK支店長は、
ぱりっとした印象もあって、逆に韓国の人からよく道を聞かれていました。
自分を指さし、「イルボン(日本人)、イルボン」と言っても、全然気にせず、
話しかけてくるのです。
しかも、いったん打ち解け出すと、親密になる度合いが早い感じがします。
どこか緊張感の抜けない日本人と違って、リラックスしているような……。
バスで乗り合わせた御老人もそうでした。
つまりは大らかなのでしょう。いわゆる「ケンチャナヨ精神」で、
だから道路が多少でこぼこしていても気にしない。
カニサハムニダとアニョンハセヨ以外、よく使った韓国語といえば、
「メッチュ、チュセヨ」(ビールください)
「ソジュ、チュセヨ」(焼酎ください)
「ヨンスジョン、チュセヨ」(領収証ください)
くらい。
もう少し、言葉を覚えて行けば、
もっと多くの人と親密になれたのにと
いまさらながら後悔しています。
このレポートの最初に韓国の印象を
「ラフでディープで繊細」と書きました。
技術で先端を行き、活気もありながら、
一方でアジア的な牧歌感が漂う国。
その幅の広さ、深さに感じた魅力は、帰国して10日を経たいま、
私のなかで、より増している気がします。
(編集部・酒井俊宏)
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2008年05月30日(金)更新
【取材日記】ソウル紀行(5)
いうまでもなく、
日本と韓国はある期間、“一つの国”でした。
どういう意図があってのことなのか(だいたい想像はつきますが)、
中学や高校の日本史の授業では、そのあたりは
妙に駆け足で進み、あるいはトバされ、
学校できっちり教わった記憶というのが
私にはありません。ほとんどの人が同じ思いでしょう。
戦前の日本を評価しようが批判しようが、
なにが起きたかを知らなくては、
どのようなスタンスであれ、取りようがありません。
私の場合、歴史に興味があって、
高校生くらいからは近現代史の本に目を通してきました。
日本が統治していた時代の朝鮮半島は、おそらくこうだったろう、
という自分なりの考えは固まっています。
そんな私ですので、せっかく韓国へ行けるのだから、
日本統治の痕跡や、巷間いわれるほど、韓国の人たちに「反日感情」があるものなのか、
それやこれやを少しでも体感したいという思いを、
無意識に抱きつつ、歩いていた面もあります。
これは、日本統治時代、1925年竣工のソウルの旧駅舎。
造形的にも素晴らしいものでした。
東京駅の赤煉瓦駅舎と似ています。
誰の手による設計かは、東京駅の設計者・辰野金吾とする説と
同時代に辰野を支えて活躍した塚本靖とする説があるそうです。
●戦前派の御老人と出会う
パジュブックシティへ視察に行った帰途のバスの中で、
個人的には、この旅のハイライトといえる出会いがありました。
戦前の日本の教育を受けた御老人と出会ったのです。
バスに乗り込んだ際、
運賃箱にお金を入れたときに出たお釣りが自分のものと思わず、
放ったらかしに通り過ぎた私に、身振り手振りで
「あなたのものだよ」と示してくださったのが、
前のほうに座ってらした、この御老人でした。
思わず頭を下げると、御老人は笑みをたたえながら、
ご自分の隣の空席を指しつつ、
「シッダウン」とおっしゃいます。
素直に従うと、御老人の口から、ゆっくりとした口調の綺麗な日本語が。
「日本からいらしたのですか?」
「お仕事はなにをなさっていますか?」
そんな質問に答えていくうちに、だんだん打ち解けてきます。
「日本では老人を大切にしていますか、敬っていますか?」
そう思い、行動している人は沢山いると思いますが、国や政治家からはあまりそういう姿勢が伝わってきません……と答えると、
「そうですか。韓国も同じですね」
御老人は、日系企業の石油関係のプラント建設の現場で長く働いておられたそうで、
中東などへも行かれたといいます。リタイア後は投資などで成功されたとのこと。
あとでお年をうかがうと、79歳。
15歳まで日本の教育を受けたことになります。
真面目に働かれたことを証明するような、
節くれだった手をしておられました。
しばし世間話のようなかたちで話をするうち、
よければ、名刺をください、と言われ、お渡ししました。
「酒井さん、ですね。私は南(ナム)と言います。日本式に
ミナミと呼んでください」
かなり打ち解けた気がした頃合いで、私は次のような質問をしてみました。
「日本人や日本のことをどう思っておられますか? お嫌いですか」
御老人はすぐ笑って首を横に振りつつ、こう答えました。
「日本人だから嫌いなんてことはない。韓国人だって日本人
だっていい奴がいれば悪い奴もいる。それだけのことだよ」
そのあと、御老人はぽつりとこうおっしゃいました。
「……酒井さん、日本にサムライはいまもいますか?」
ハートやマインドという意味でなら、そういう人はいます……と答えてから、
「戦前はそういう日本人はたくさんいたのですか、学校の先生とか」と訊ねると、
遠くを見る眼差しで何度も頷いておられました。
そのうちに、「名刺をもう一枚ください」と言われ、お渡しすると、
御老人は、そこにご自宅の電話番号を書いてくださいました。
「私の家のほうは魚が美味しいんです。美味しいどぶろく、
マッコリね。美味しいどぶろくがあります。今度また韓国
へいらっしゃることがあったら、必ず連絡をください。歓
迎しますよ」
なんだか、鼻の奥がつんとしてきて、
泣きそうな気分になりました。
御老人はこんなこともおっしゃっていました。
「日本の男は真面目なのはいいですが、細かすぎる。もっ
と大らかに生きたほうが幸せなのではないですか。お酒も
ね、こんな小さな器で(と、お猪口の形をつくって)飲む
でしょう。私ら韓国人は、どぶろくをこういうどんぶりで
ぐいっと飲む。最高ですよ。何杯も飲んで、そのうち、首
ががくっとするまで飲む」
そう言いながら、なんとも楽しそうな様子で、
がくっと首を前に傾ける。
最初に掲載した写真は、このやりとりのあたりでご本人に許可を得て、
撮らせていただいたものです。
最後は終点でともにバスを降り、握手をして別れました。
一緒だったのは、30分ほどの間でしたが、
2、3時間ほどにも感じられ、忘れられない思い出になりました。
あるいは韓国滞在中、最も濃密で、貴重な時間だったかもしれません。
いつかまた、韓国を訪れる機会があったら、
必ず御老人のお宅を訪ねてみるつもりです。
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日本と韓国はある期間、“一つの国”でした。
どういう意図があってのことなのか(だいたい想像はつきますが)、
中学や高校の日本史の授業では、そのあたりは
妙に駆け足で進み、あるいはトバされ、
学校できっちり教わった記憶というのが
私にはありません。ほとんどの人が同じ思いでしょう。
戦前の日本を評価しようが批判しようが、
なにが起きたかを知らなくては、
どのようなスタンスであれ、取りようがありません。
私の場合、歴史に興味があって、
高校生くらいからは近現代史の本に目を通してきました。
日本が統治していた時代の朝鮮半島は、おそらくこうだったろう、
という自分なりの考えは固まっています。
そんな私ですので、せっかく韓国へ行けるのだから、
日本統治の痕跡や、巷間いわれるほど、韓国の人たちに「反日感情」があるものなのか、
それやこれやを少しでも体感したいという思いを、
無意識に抱きつつ、歩いていた面もあります。
これは、日本統治時代、1925年竣工のソウルの旧駅舎。
造形的にも素晴らしいものでした。
東京駅の赤煉瓦駅舎と似ています。
誰の手による設計かは、東京駅の設計者・辰野金吾とする説と
同時代に辰野を支えて活躍した塚本靖とする説があるそうです。
●戦前派の御老人と出会う
パジュブックシティへ視察に行った帰途のバスの中で、
個人的には、この旅のハイライトといえる出会いがありました。
戦前の日本の教育を受けた御老人と出会ったのです。
バスに乗り込んだ際、
運賃箱にお金を入れたときに出たお釣りが自分のものと思わず、
放ったらかしに通り過ぎた私に、身振り手振りで
「あなたのものだよ」と示してくださったのが、
前のほうに座ってらした、この御老人でした。
思わず頭を下げると、御老人は笑みをたたえながら、
ご自分の隣の空席を指しつつ、
「シッダウン」とおっしゃいます。
素直に従うと、御老人の口から、ゆっくりとした口調の綺麗な日本語が。
「日本からいらしたのですか?」
「お仕事はなにをなさっていますか?」
そんな質問に答えていくうちに、だんだん打ち解けてきます。
「日本では老人を大切にしていますか、敬っていますか?」
そう思い、行動している人は沢山いると思いますが、国や政治家からはあまりそういう姿勢が伝わってきません……と答えると、
「そうですか。韓国も同じですね」
御老人は、日系企業の石油関係のプラント建設の現場で長く働いておられたそうで、
中東などへも行かれたといいます。リタイア後は投資などで成功されたとのこと。
あとでお年をうかがうと、79歳。
15歳まで日本の教育を受けたことになります。
真面目に働かれたことを証明するような、
節くれだった手をしておられました。
しばし世間話のようなかたちで話をするうち、
よければ、名刺をください、と言われ、お渡ししました。
「酒井さん、ですね。私は南(ナム)と言います。日本式に
ミナミと呼んでください」
かなり打ち解けた気がした頃合いで、私は次のような質問をしてみました。
「日本人や日本のことをどう思っておられますか? お嫌いですか」
御老人はすぐ笑って首を横に振りつつ、こう答えました。
「日本人だから嫌いなんてことはない。韓国人だって日本人
だっていい奴がいれば悪い奴もいる。それだけのことだよ」
そのあと、御老人はぽつりとこうおっしゃいました。
「……酒井さん、日本にサムライはいまもいますか?」
ハートやマインドという意味でなら、そういう人はいます……と答えてから、
「戦前はそういう日本人はたくさんいたのですか、学校の先生とか」と訊ねると、
遠くを見る眼差しで何度も頷いておられました。
そのうちに、「名刺をもう一枚ください」と言われ、お渡しすると、
御老人は、そこにご自宅の電話番号を書いてくださいました。
「私の家のほうは魚が美味しいんです。美味しいどぶろく、
マッコリね。美味しいどぶろくがあります。今度また韓国
へいらっしゃることがあったら、必ず連絡をください。歓
迎しますよ」
なんだか、鼻の奥がつんとしてきて、
泣きそうな気分になりました。
御老人はこんなこともおっしゃっていました。
「日本の男は真面目なのはいいですが、細かすぎる。もっ
と大らかに生きたほうが幸せなのではないですか。お酒も
ね、こんな小さな器で(と、お猪口の形をつくって)飲む
でしょう。私ら韓国人は、どぶろくをこういうどんぶりで
ぐいっと飲む。最高ですよ。何杯も飲んで、そのうち、首
ががくっとするまで飲む」
そう言いながら、なんとも楽しそうな様子で、
がくっと首を前に傾ける。
最初に掲載した写真は、このやりとりのあたりでご本人に許可を得て、
撮らせていただいたものです。
最後は終点でともにバスを降り、握手をして別れました。
一緒だったのは、30分ほどの間でしたが、
2、3時間ほどにも感じられ、忘れられない思い出になりました。
あるいは韓国滞在中、最も濃密で、貴重な時間だったかもしれません。
いつかまた、韓国を訪れる機会があったら、
必ず御老人のお宅を訪ねてみるつもりです。
(編集部・酒井俊宏)
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2008年05月29日(木)更新
【取材日記】ソウル紀行(4)
「たった5日の旅で何がわかる!」と
お叱りを受けるかもしれませんが、
このあたりで、韓国の文化や街のこと、日本との違いなど、
私なりに感じたままを書いていきます。
●とことん唐辛子
これは、安くておなかがいっぱいになるというので
若者たちに人気の軍隊鍋(プデチゲ)です。
この鍋を食べさせるお店は、
それこそ無数にありました。
プデチゲは、朝鮮戦争時、米軍の持ち込んだスパムやソーセージを
ネギやトッポギ(餅)、唐辛子、野菜キムチと一緒に煮込んだのがルーツとされ、
ネーミングもそこに由来します。
いまではインスタントの麺を入れるのが定番になっています。
二人でビールを2本頼んで、ご飯とキムチがついて、
勘定が21000ウォン(日本円で2000円そこそこ)くらいでしたから、激安です。
味もなかなかいけます。えらく辛かったけど……。
それにしても、彼の地の人たちの唐辛子の消費量は
すごいものがあります。
偶然、CMのロケ現場などにも出くわしましたが、
スタッフとおぼしき人たちは、
朝から例の唐辛子たっぷりの「辛ラーメン」のカップ麺を
一斉にすすっていました。
日本ならおむすびやサンドイッチを口にするところですが、
見た目の迫力・活力という点では、“朝から辛ラーメン”のほうが上回っています。
唐辛子自体は16世紀末、日本経由で
朝鮮半島に渡ったというのが定説だそうです。
それ以前の型のキムチは日本の漬け物に似たもので、
いまも伝統的な韓定食のお店では口にすることができます。
どうして、これほどまでに唐辛子が定着したのかは諸説あり、
決定的な説はないようです。
実は、金浦空港を出て初めて地下鉄に乗ったとき、
車内のキムチ(というよりニンニクかもしれませんが)の
匂いに少なからず驚きました。
人が多ければ多いほど、匂いが増す、
人々の体内から、たちのぼるような感じです。
日本でも羽田空港の構内は醤油くさい、といった声を聞くこともありますが、
それは、構内のお店の調理場や料理そのものの匂いのように思います。
食べ物の話になったついでに、
帰国前夜に行った焼肉屋さんでの模様を少々。
日本の焼肉屋さんと違い、店員さんが焼き上がるそばから
ハサミで肉をチョキチョキ切ってくれるので、
食べること・飲むことと談笑に集中できます。
ちなみに韓国伝統の焼肉は、鉄鍋で焼く、いわゆるプルコギであり、
炭火やガスで直に肉をあぶるのは戦後の日本で
在日朝鮮系の人が始めたスタイルだそうです。
ハサミを使い、炭火であぶるこのお店のスタイルは
日韓融合型、といえましょう。
サンチュ、キムチ(日本のよりおおぶりに切ってある)と重ねたうえに
焼き上がった肉を載せ、丸めてほおばると、それはまさに至福のときです。
焼いたニンニクも、ばりばりとかじりました。
お見苦しい絵で申し訳ありません。
満ち足りた(呆けた)顔の私と、
肉のエキスが全身に回り、ファイヤー状態の柏木支店長、です。
そんな次第で、帰国する頃には、地下鉄に乗っても
さほど、匂いが気にならなくなっていました。
あちらのものをがんがん食べているうちに、
私自身、同じ匂いを発するようになったからでしょう。
いろいろ記すつもりが、また食べ物で終わってしまいました……。
続きはまた明日、書くことにします。
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このあたりで、韓国の文化や街のこと、日本との違いなど、
私なりに感じたままを書いていきます。
●とことん唐辛子
これは、安くておなかがいっぱいになるというので
若者たちに人気の軍隊鍋(プデチゲ)です。
この鍋を食べさせるお店は、
それこそ無数にありました。
プデチゲは、朝鮮戦争時、米軍の持ち込んだスパムやソーセージを
ネギやトッポギ(餅)、唐辛子、野菜キムチと一緒に煮込んだのがルーツとされ、
ネーミングもそこに由来します。
いまではインスタントの麺を入れるのが定番になっています。
二人でビールを2本頼んで、ご飯とキムチがついて、
勘定が21000ウォン(日本円で2000円そこそこ)くらいでしたから、激安です。
味もなかなかいけます。えらく辛かったけど……。
それにしても、彼の地の人たちの唐辛子の消費量は
すごいものがあります。
偶然、CMのロケ現場などにも出くわしましたが、
スタッフとおぼしき人たちは、
朝から例の唐辛子たっぷりの「辛ラーメン」のカップ麺を
一斉にすすっていました。
日本ならおむすびやサンドイッチを口にするところですが、
見た目の迫力・活力という点では、“朝から辛ラーメン”のほうが上回っています。
唐辛子自体は16世紀末、日本経由で
朝鮮半島に渡ったというのが定説だそうです。
それ以前の型のキムチは日本の漬け物に似たもので、
いまも伝統的な韓定食のお店では口にすることができます。
どうして、これほどまでに唐辛子が定着したのかは諸説あり、
決定的な説はないようです。
実は、金浦空港を出て初めて地下鉄に乗ったとき、
車内のキムチ(というよりニンニクかもしれませんが)の
匂いに少なからず驚きました。
人が多ければ多いほど、匂いが増す、
人々の体内から、たちのぼるような感じです。
日本でも羽田空港の構内は醤油くさい、といった声を聞くこともありますが、
それは、構内のお店の調理場や料理そのものの匂いのように思います。
食べ物の話になったついでに、
帰国前夜に行った焼肉屋さんでの模様を少々。
日本の焼肉屋さんと違い、店員さんが焼き上がるそばから
ハサミで肉をチョキチョキ切ってくれるので、
食べること・飲むことと談笑に集中できます。
ちなみに韓国伝統の焼肉は、鉄鍋で焼く、いわゆるプルコギであり、
炭火やガスで直に肉をあぶるのは戦後の日本で
在日朝鮮系の人が始めたスタイルだそうです。
ハサミを使い、炭火であぶるこのお店のスタイルは
日韓融合型、といえましょう。
サンチュ、キムチ(日本のよりおおぶりに切ってある)と重ねたうえに
焼き上がった肉を載せ、丸めてほおばると、それはまさに至福のときです。
焼いたニンニクも、ばりばりとかじりました。
お見苦しい絵で申し訳ありません。
満ち足りた(呆けた)顔の私と、
肉のエキスが全身に回り、ファイヤー状態の柏木支店長、です。
そんな次第で、帰国する頃には、地下鉄に乗っても
さほど、匂いが気にならなくなっていました。
あちらのものをがんがん食べているうちに、
私自身、同じ匂いを発するようになったからでしょう。
いろいろ記すつもりが、また食べ物で終わってしまいました……。
続きはまた明日、書くことにします。
(編集部・酒井俊宏)
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2008年05月28日(水)更新
【取材日記】ソウル紀行(3)
ソウル滞在3日目の5月15日は、
パジュブックシティへ。
ソウルの中心部から、
地下鉄とシャトルバスを乗り継いで
約1時間の郊外・坡州市(パジュ市)にある、
出版社や印刷会社、物流会社が数百社レベルで本拠を置く、
出版業界各社の一大集積地です。
50万坪近くあると聞いて、想像はしていたものの、
実際、足を運んでみて、そのスケールの大きさに驚きました。
■紹介記事 >>>
1989年に計画が始まり、ある程度、竣工が済んだのは
2004年。まだ完成していない棟もたくさんあって、
いまも開発の途上にあります。
それだけ大きなプロジェクトだったといえます。
造形的にも面白い社屋が沢山建っています。
建築家がそのワザを競う場でもあります。
もちろん韓国出版界でも、
さまざまなデータをウェブを通じてやりとりをするようになっていますし、
計画がスタートした時点とは状況も変わっているでしょう。
ここまで業者が集積しているメリットがどれだけあるか、
正直、疑問を感じなくはありません。
ただ、自然環境のよいところで仕事をするというのは、
そこで働く個々人にとっては心身ともによい作用があると思います。
実際、私たちが朝9時すぎ、シャトルバスで向かう高速道路は
すいすい流れていましたが、
逆方向のソウル方面へ向かう道路は大渋滞。
パジュブックシティへ通勤する人たちが、
そうした人の流れと逆に向かうパターンで通っているとしたら、
日々、満員電車で通勤する身として、ちょっと羨ましくありました。
この日の夕刻には、
翻訳などで当社と取引のある韓国の出版社の方と
お会いする機会がありました。
そこでお聞きしたことを少し、記します。
韓国のビジネス書のトレンドは、
「ストーリー化」と「イラスト化」だそうです。
つまり、同じ内容でも、小説仕立て・漫画仕立てにして
ストーリーを楽しみながら、自然に知識が身に付くような本が
好まれているのです。
かつて売れたビジネス書を
そうした作りにリメイクする動きも増えているそうです。
ちなみに彼の地では「スラムダンク」や「ワンピース」など、
日本の漫画が若い人たちに大人気と聞きます。
そうした流れもあっての傾向でしょうか。
日本では、一時ほど、ストーリーや漫画仕立てのビジネス書は
見なくなりましたが、作りとしては、
本を開いた際、やはり視覚的に圧迫感のない
ゆったりめの組み方のものが売れています。
もちろん、ある主張がきっちりないと読者にアピールはしないのですが、
作り自体は、“軽く”なっているといえます。
個人的な推測として、そうした現象の陰には
大きく2タイプの読者層の存在があるのではないか、
と思っています。
まず、ふだん本をあまり読まず、ネットなどで情報を収集し
本を読むにしても、なるべく手軽に内容を把握したいという人たち。
もう一つは、積極的に本は読むものの、忙しさのあまり
常にスピーディに内容を把握したいという人たち。
これも推測ですが、日本でも韓国でも、ビジネスマンのマインドが
総じて「せっかち」になっているのかもしれません。
そうした顧客の志向の変化に合わせ、
サービス・商品を変化させていく意識が製作側には必要といえます。
もちろん、どんな商売であっても同じことがいえるわけで、
出版界に限った話ではありませんが……。
さて、ソウル市街でスズメの次によくみかける鳥が、このカササギです。
徳寿宮の塀に止まっていました。
ソウルの「市鳥」にもなっています。なかなか美しい。
次回以降は少し柔らかく、ソウルの人や風俗面について
感じたことを記してみたいと思います。
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パジュブックシティへ。
ソウルの中心部から、
地下鉄とシャトルバスを乗り継いで
約1時間の郊外・坡州市(パジュ市)にある、
出版社や印刷会社、物流会社が数百社レベルで本拠を置く、
出版業界各社の一大集積地です。
50万坪近くあると聞いて、想像はしていたものの、
実際、足を運んでみて、そのスケールの大きさに驚きました。
■紹介記事 >>>
1989年に計画が始まり、ある程度、竣工が済んだのは
2004年。まだ完成していない棟もたくさんあって、
いまも開発の途上にあります。
それだけ大きなプロジェクトだったといえます。
造形的にも面白い社屋が沢山建っています。
建築家がそのワザを競う場でもあります。
もちろん韓国出版界でも、
さまざまなデータをウェブを通じてやりとりをするようになっていますし、
計画がスタートした時点とは状況も変わっているでしょう。
ここまで業者が集積しているメリットがどれだけあるか、
正直、疑問を感じなくはありません。
ただ、自然環境のよいところで仕事をするというのは、
そこで働く個々人にとっては心身ともによい作用があると思います。
実際、私たちが朝9時すぎ、シャトルバスで向かう高速道路は
すいすい流れていましたが、
逆方向のソウル方面へ向かう道路は大渋滞。
パジュブックシティへ通勤する人たちが、
そうした人の流れと逆に向かうパターンで通っているとしたら、
日々、満員電車で通勤する身として、ちょっと羨ましくありました。
この日の夕刻には、
翻訳などで当社と取引のある韓国の出版社の方と
お会いする機会がありました。
そこでお聞きしたことを少し、記します。
韓国のビジネス書のトレンドは、
「ストーリー化」と「イラスト化」だそうです。
つまり、同じ内容でも、小説仕立て・漫画仕立てにして
ストーリーを楽しみながら、自然に知識が身に付くような本が
好まれているのです。
かつて売れたビジネス書を
そうした作りにリメイクする動きも増えているそうです。
ちなみに彼の地では「スラムダンク」や「ワンピース」など、
日本の漫画が若い人たちに大人気と聞きます。
そうした流れもあっての傾向でしょうか。
日本では、一時ほど、ストーリーや漫画仕立てのビジネス書は
見なくなりましたが、作りとしては、
本を開いた際、やはり視覚的に圧迫感のない
ゆったりめの組み方のものが売れています。
もちろん、ある主張がきっちりないと読者にアピールはしないのですが、
作り自体は、“軽く”なっているといえます。
個人的な推測として、そうした現象の陰には
大きく2タイプの読者層の存在があるのではないか、
と思っています。
まず、ふだん本をあまり読まず、ネットなどで情報を収集し
本を読むにしても、なるべく手軽に内容を把握したいという人たち。
もう一つは、積極的に本は読むものの、忙しさのあまり
常にスピーディに内容を把握したいという人たち。
これも推測ですが、日本でも韓国でも、ビジネスマンのマインドが
総じて「せっかち」になっているのかもしれません。
そうした顧客の志向の変化に合わせ、
サービス・商品を変化させていく意識が製作側には必要といえます。
もちろん、どんな商売であっても同じことがいえるわけで、
出版界に限った話ではありませんが……。
さて、ソウル市街でスズメの次によくみかける鳥が、このカササギです。
徳寿宮の塀に止まっていました。
ソウルの「市鳥」にもなっています。なかなか美しい。
次回以降は少し柔らかく、ソウルの人や風俗面について
感じたことを記してみたいと思います。
(編集部・酒井俊宏)
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2008年05月26日(月)更新
【取材日記】ソウル紀行(2)
5月14日~18日までソウルで行なわれたブックフェア。
私たち一行は14日と16日の両日、
視察して参りました。
駆け足でご報告します。
■前回記事はこちら >>>
会場となったのは、COEX(韓国総合展示場)。
幕張メッセやマイドーム大阪などをご想像いただければと
思います。
下は会場前の街並みです。洗練されています。
オープン日の昼には、出展する出版社の経営者が参加しての
セレモニーがあり、新聞社やテレビ局も取材に来ていたようです。
韓国国内の出版社が多数を占めていましたが
日本などアジア諸国や欧米諸国の取次や出版社のブースも
目立ちました。
とりわけにぎわっていたのは、
やはり中国の出版社各社が集まったブースです。
ブースそのものも、他国のそれよりスペースが大きく、
あちこちで翻訳などの商談とおぼしき絵が見られました。
チベットなど人権問題を抱えながらも、
やはり北京五輪を控えて、注目度のレベルが違いました。
ちなみにこの時点では、
四川の大地震があれほど甚大な被害をもたらしているとまでは
報道されていませんでした。
たぶん最終日あたりでは、違った雰囲気になっていたかもしれません。
こちらは、いつもお世話になっている
トーハンさんのブース。
映っているのは同行の柏木支店長です。
私どもの本も置いていただいています。
目録も……。(右端のもの)
お話を聞かせていただいたトーハン海外事業部の阿部友子さんによると
私どもの本への韓国の出版エージェントの関心は高く、
用意していただいた目録の減りはこの日、一番だったそうです。
嬉しくなりますね。
雑誌編集担当者としては、ついこのコーナーに
足が向います。
成功者にスポットを当てたとおぼしき雑誌は
全体に占める比率としては、
日本より多く出版されているような印象をもちました。
当然といえば当然ですが、
李明博大統領が表紙を飾っているものが目立ちました。
さて、これはおまけです。
なんとタイトル(体裁からして、たぶん)が「SAKAI」。
いったい何の本なのか。
たしかマレーシアのブースだったと記憶していますが、
意味がおわかりのかたがいらっしゃいましたら、
お教えください。
装丁の雰囲気からしては、
あんまりハッピーそうな内容ではないような気も……。
明日以降は、あちらの出版社のかたにお聞きした、
ビジネス書の傾向などについて、
ご紹介していきたいと思います。
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私たち一行は14日と16日の両日、
視察して参りました。
駆け足でご報告します。
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会場となったのは、COEX(韓国総合展示場)。
幕張メッセやマイドーム大阪などをご想像いただければと
思います。
下は会場前の街並みです。洗練されています。
オープン日の昼には、出展する出版社の経営者が参加しての
セレモニーがあり、新聞社やテレビ局も取材に来ていたようです。
韓国国内の出版社が多数を占めていましたが
日本などアジア諸国や欧米諸国の取次や出版社のブースも
目立ちました。
とりわけにぎわっていたのは、
やはり中国の出版社各社が集まったブースです。
ブースそのものも、他国のそれよりスペースが大きく、
あちこちで翻訳などの商談とおぼしき絵が見られました。
チベットなど人権問題を抱えながらも、
やはり北京五輪を控えて、注目度のレベルが違いました。
ちなみにこの時点では、
四川の大地震があれほど甚大な被害をもたらしているとまでは
報道されていませんでした。
たぶん最終日あたりでは、違った雰囲気になっていたかもしれません。
こちらは、いつもお世話になっている
トーハンさんのブース。
映っているのは同行の柏木支店長です。
私どもの本も置いていただいています。
目録も……。(右端のもの)
お話を聞かせていただいたトーハン海外事業部の阿部友子さんによると
私どもの本への韓国の出版エージェントの関心は高く、
用意していただいた目録の減りはこの日、一番だったそうです。
嬉しくなりますね。
雑誌編集担当者としては、ついこのコーナーに
足が向います。
成功者にスポットを当てたとおぼしき雑誌は
全体に占める比率としては、
日本より多く出版されているような印象をもちました。
当然といえば当然ですが、
李明博大統領が表紙を飾っているものが目立ちました。
さて、これはおまけです。
なんとタイトル(体裁からして、たぶん)が「SAKAI」。
いったい何の本なのか。
たしかマレーシアのブースだったと記憶していますが、
意味がおわかりのかたがいらっしゃいましたら、
お教えください。
装丁の雰囲気からしては、
あんまりハッピーそうな内容ではないような気も……。
明日以降は、あちらの出版社のかたにお聞きした、
ビジネス書の傾向などについて、
ご紹介していきたいと思います。
(編集部・酒井俊宏)
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2008年05月23日(金)更新
【取材日記】ソウル紀行(1)
すでにお伝えしたとおり、先週の13日から17日まで、
ソウルで行なわれたブックフェア視察のため、
韓国を旅していました。
当社のグループ企業であるエヌ・ジェイ出版販売の
名古屋支店長・柏木とずっと一緒の行程で、
彼が学生時代に韓国を旅した経験があるため、
ずいぶん助けてもらいました。
初めて訪れた韓国は、“深い”国でした。
あちらの出版社のかたにお聞きした出版事情。
そして、独特の食文化。
道行く人のいでたちや生活上のルール、慣習の日本との違い。
偶然、戦前派のおじいさん(79歳)とバスで隣り合わせに座り、
しばらく日本語で会話をしたりと(あとで詳しく書きます)、
目にするもの、出会う人、すべてが新鮮な体験でした。
盛りだくさんでしたので、何回かに分けて、
レポートをアップしていきたいと思います。
■土俗村のサムゲタン
旅を通じての食事のなかで、ナンバー1に挙げたいのが
土俗村(トソッチョン)というお店の、この参鶏湯(サムゲタン)です。
滋味深く、一口ごとに、自分の中に力が湧いてくる感覚がありました。
こちらは同じお店の若鶏の丸焼き。これも最高でした。
実は出発前、食のプロであるサカエヤの新保さんが、拙ブログに
「絶品だからぜひ行ってみて」とコメントを入れてくださっていたのです。
新保さん、ありがとうございました。
ほんとに絶品でした!
お店のたたずまいにも、そうとうの風格がありました。
■土俗村の紹介記事 >>>
なにをおいてもまず行きたいお店だったのですが、
もちろん仕事で行っていますので、
行きたい、行きたいと思いながら、思うように動けず、
ようやく訪れることができたのは帰国の前日。
楽しみにしていただけに、感激もひとしお、でした。
■ラフでディープで繊細
さて、旅を終えた印象として、韓国を短く表現するなら
「ラフでディープで繊細」。
繊細で、ある面では先端を行き、しかも活気がありながら、
ある面ではアジアらしい、どことなくのんびり感も漂う国。
その幅が、日本よりもずっと広いと感じました。
街の雰囲気は、車が左ハンドル、右側通行ということもあって、
アメリカのそれを思わせます。
とくに、われわれが宿を取った江南地区は
外壁が煉瓦の家が多く、全体に赤茶けていて、
どことなく、昔行った、ロサンゼルスを思い出しました。
ホテルの窓から。
ホテル前の通りにて。
繊細さ、の面では、たとえば携帯電話などは
たいがい日本のそれよりもはるかに小さく、
若い人たちはそれで苦もなくメールを打っています。
地下鉄の構内でも道端でも、
私が会社から預かった海外使用可能な携帯電話を使っていると、
「この男はなんでこんなでかい携帯を使ってるのか?」
という雰囲気の目線をしばしば感じました。
あるいは私の顔を見て、
「この男の眉毛はなんでこんなに濃いのか?」
と思っていただけかもしれませんが……。
タクシーも、黒塗りの「模範タクシー」
(通常のタクシーよりも割高だが厳しい審査をパスした運転手しかおらず、安心できる)
に乗ると、運転席には携帯が二つ(私物と会社支給か?)に
日本のそれよりも小さいカーナビ。
もちろん無線もあって、それが綺麗に整理されているので、
ジェット機のコックピットのようです。
こういうあたりは日本よりもずっと進んでいる感じです。
一方で、乗っていた地下鉄が急に停電でストップして、
下ろされたり(でも、他のお客さんはさして驚いた風もない)。
ソウル駅のすぐそば、日本でいえば、有楽町か東京駅の真ん前に当たるエリアですが、
そんな場所で、人の好さそうなオモニが、むしろを敷いてトマトを売っていたりします。
うーん、実際に書いてみると、
書きたいことが山ほどありますね。
きょうはこのくらいにしておきます。
それから、同じ時期に、オーサカ・ユニークの田路さんも、
ソウルにいらしたのですね。
みなさま、ぜひ田路さんのブログをご覧ください。
■韓国の旅(1) >>>
■韓国の旅(2) >>>
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ソウルで行なわれたブックフェア視察のため、
韓国を旅していました。
当社のグループ企業であるエヌ・ジェイ出版販売の
名古屋支店長・柏木とずっと一緒の行程で、
彼が学生時代に韓国を旅した経験があるため、
ずいぶん助けてもらいました。
初めて訪れた韓国は、“深い”国でした。
あちらの出版社のかたにお聞きした出版事情。
そして、独特の食文化。
道行く人のいでたちや生活上のルール、慣習の日本との違い。
偶然、戦前派のおじいさん(79歳)とバスで隣り合わせに座り、
しばらく日本語で会話をしたりと(あとで詳しく書きます)、
目にするもの、出会う人、すべてが新鮮な体験でした。
盛りだくさんでしたので、何回かに分けて、
レポートをアップしていきたいと思います。
■土俗村のサムゲタン
旅を通じての食事のなかで、ナンバー1に挙げたいのが
土俗村(トソッチョン)というお店の、この参鶏湯(サムゲタン)です。
滋味深く、一口ごとに、自分の中に力が湧いてくる感覚がありました。
こちらは同じお店の若鶏の丸焼き。これも最高でした。
実は出発前、食のプロであるサカエヤの新保さんが、拙ブログに
「絶品だからぜひ行ってみて」とコメントを入れてくださっていたのです。
新保さん、ありがとうございました。
ほんとに絶品でした!
お店のたたずまいにも、そうとうの風格がありました。
■土俗村の紹介記事 >>>
なにをおいてもまず行きたいお店だったのですが、
もちろん仕事で行っていますので、
行きたい、行きたいと思いながら、思うように動けず、
ようやく訪れることができたのは帰国の前日。
楽しみにしていただけに、感激もひとしお、でした。
■ラフでディープで繊細
さて、旅を終えた印象として、韓国を短く表現するなら
「ラフでディープで繊細」。
繊細で、ある面では先端を行き、しかも活気がありながら、
ある面ではアジアらしい、どことなくのんびり感も漂う国。
その幅が、日本よりもずっと広いと感じました。
街の雰囲気は、車が左ハンドル、右側通行ということもあって、
アメリカのそれを思わせます。
とくに、われわれが宿を取った江南地区は
外壁が煉瓦の家が多く、全体に赤茶けていて、
どことなく、昔行った、ロサンゼルスを思い出しました。
ホテルの窓から。
ホテル前の通りにて。
繊細さ、の面では、たとえば携帯電話などは
たいがい日本のそれよりもはるかに小さく、
若い人たちはそれで苦もなくメールを打っています。
地下鉄の構内でも道端でも、
私が会社から預かった海外使用可能な携帯電話を使っていると、
「この男はなんでこんなでかい携帯を使ってるのか?」
という雰囲気の目線をしばしば感じました。
あるいは私の顔を見て、
「この男の眉毛はなんでこんなに濃いのか?」
と思っていただけかもしれませんが……。
タクシーも、黒塗りの「模範タクシー」
(通常のタクシーよりも割高だが厳しい審査をパスした運転手しかおらず、安心できる)
に乗ると、運転席には携帯が二つ(私物と会社支給か?)に
日本のそれよりも小さいカーナビ。
もちろん無線もあって、それが綺麗に整理されているので、
ジェット機のコックピットのようです。
こういうあたりは日本よりもずっと進んでいる感じです。
一方で、乗っていた地下鉄が急に停電でストップして、
下ろされたり(でも、他のお客さんはさして驚いた風もない)。
ソウル駅のすぐそば、日本でいえば、有楽町か東京駅の真ん前に当たるエリアですが、
そんな場所で、人の好さそうなオモニが、むしろを敷いてトマトを売っていたりします。
うーん、実際に書いてみると、
書きたいことが山ほどありますね。
きょうはこのくらいにしておきます。
それから、同じ時期に、オーサカ・ユニークの田路さんも、
ソウルにいらしたのですね。
みなさま、ぜひ田路さんのブログをご覧ください。
■韓国の旅(1) >>>
■韓国の旅(2) >>>
(編集部・酒井俊宏)
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